+++ 飛 翔 +++


17.己に出来ること















「それではキラ、行ってまいりますわ」
「うん…。ラクス、ほんとに…気をつけてね」
「はい」

にっこりと微笑む少女の両手をぎゅっと握り、それでもキラは沈痛な表情のまま。
先ほどまでバルトフェルドも傍にいたのだが、あまりにもキラがラクスとの別れを惜しんでいるため、先に出る準備をしておこうと気を利かせて立ち去っていた。
時間がいくらでもあるわけではない。計画が失敗するわけにはいかないのだ。
だから、自分がここで引き止めていてはいけないと分かってはいるのだが。

「キラ。私は私のできることを頑張ります。そしてキラはキラにしかできないことをなさって下さいな。そうしてまた後で、お会いしましょう?」
「…うん」

消えてくれない不安。どうして自分はこんなにも臆病なのだろう。
大切なひとを失う恐怖は、どれだけ時間が経とうと慣れることなどない。

不安をかき消すように、キラはたおやかな身体を抱き締めた。
甘えるようなその行動をラクスはただ受け入れ、そっと背中に腕を回してくれる。
鼻をくすぐる甘い香り、頬に触れる柔らかい髪。肌に伝わる、愛しいひとの温もり。

どうか、これらが消えてしまうことがありませんように。
手の届かない場所で、手折られることのないように。

「………ラクス、いってらっしゃい」
「はい、いってまいりますわキラ」

ふわりと微笑んで、頬にキスを落とした少女は格納庫へと去っていく。そこから潜水艇を使って地上の隠された拠点地へ移動する。そこからは「プラントのラクス」になりきって、ザフトの基地へと入る手はずだ。
堂々とザフトのシャトルを使ってしまおうというのだから恐れ入る。
その大胆さはラクスやバルトフェルドの特徴だ。先の大戦でもよく驚かされた。

ピンクの髪が遠ざかっていくのを見送ったキラは、よしと拳を握る。
くるりと振り返ったところに、ミリアリアが楽しげな笑みを浮かべて立っていて、ぎょっとした。

「ミ、ミリアリア?」
「キラ、ついてくつもりなんでしょ?」
「う」
「ま、心配よね。何かあったら困るし、いいんじゃないの」
「ミリィは?」
「私はとりあえず一緒に潜水艇に乗らせてもらって地上に戻るわ。それで最後の挨拶を済ませて」
「…最後の挨拶?」
「アークエンジェルに本格的に乗ろうと思うから」
「え」

あまりにもあっさりと言われた言葉に、キラは紫苑の瞳を瞠る。
そんな友人を見て、悪戯が成功したとでもいうかのようにミリアリアはうふふと笑う。

「もう決めたの。そのための準備も終わったし、マリューさんに許可はもらったし」
「いつの間に…」
「驚かせようと思って。知ってるのはいまのところ艦長だけよ」
「でも…いいの?」
「なんだかキラとカガリさんだけだと不安だし」
「うう」
「それに、私もやっぱり守りたいと思うもの」

そう語るミリアリアの言葉はひどく穏やかで優しさを帯びていた。
何を守りたいのかとか、そんなことを聞く必要などないと思えるほどに静かな言葉。

彼女にも守りたいと思える何かがあって、そのためにまた自分にできることをしたいと思ったのだろう。

過去の戦いのときにも、共に最後まで駆け抜けてくれたかけがえのない戦友。
彼女が加わってくれることは心強い。ほんの少しの複雑な思いがないとは言えないけれど。
でもそんなことを言おうものなら、きっとミリアリアは怒るだろう。

「…どうして僕の周りの女の子って、みんな強いんだろう…」
「キラたちが頼りないからじゃないのー?」
「ええ!」
「ふふ、うそうそ。すごい頼りにしてるわよ、キラ。あ、あと帰りに私のこと拾ってくれると嬉しいんだけど」
「え」
「これ、待ち合わせ場所。ここに迎えに来てね」

ぽん、と肩を叩いてミリアリアも格納庫へと駆けていく。
元気な足音が遠ざかるのを聞きながら、キラはぐったりと肩を落とした。
自分は、こうして彼女らに振り回される定めなのだろうか、と。


















コックピットへと滑り込んだキラに、モニターからマリューが声をかける。

<それじゃあキラくん、お願いね>
「はい。すみません、我が儘言って」
<いいのよ、心配するのは当然のことだもの。それに、私たちにとってもラクスさんを失うわけにはいかないわ。…よろしく頼むわね>
「………はい」

いつだって優しくこちらの気持ちを包み込んでくれるマリュー。
その優しさに彼女自身も苦悩したことがあっただろうに、それでもマリューは優しさを捨てない。
彼女の温かい心遣いに自分は何度救われただろうか。そして今も。

勝手な行動の許可を出してくれたマリューに、もう一度心の中で礼を言う。
ヘルメットを被り、シートベルトを締めながら発進シークエンスが整うのを待った。

<フリーダム発進、いいぞ。気をつけてな、キラ>
「うん、ありがとうカガリ。………キラ・ヤマト、フリーダムいきます!」

送り出してくれる声はこれからはラクスではなくなる。
でもそれもほんの少しの間だけだ。いまはそれぞれに出来ることを、していこう。

けれどせめて、彼女が無事に宇宙へ上がることだけは見守りたい。

そう願って、キラは躊躇いなくペダルを踏み込んだ。

















ラクスたちが旅立ちに選んだ場所は、ディオキア基地。
プラントのラクス・クラインが、慰問コンサートを終え、ここから宇宙へ上がるという情報が入ったからだ。

本物のラクスが贋物のラクスになる。
その提案を聞いたときは目から鱗のような状態だったが、なるほどとも思った。
あまりにアバウトな作戦内容に本当に大丈夫だろうかと不安にもなったけれど、そうやってバルトフェルドは砂漠の虎としての名を得るまでに至ったのだから、いいのだろう。…ダコスタの苦労が目に浮かぶのは置いておくことにして。

基地のレーダーに引っかからないように距離をとりながら、キラは何事もなくラクスらが出発できることを祈っていた。何もなければそれでいい。そうしたら、すぐに戻ろう。
そういえば帰りにミリアリアを拾っていかねばならないのだったか。
待ち合わせに指定された場所はフリーダムで向かっても問題のない場所だったし、さすがミリアリアというところだろう。

そんなことをつらつらと考えていたキラは、基地の異変に気づいて姿勢を正した。
聞こえてくる警報。レーダーに突然無数の機体の反応が出る。

「………バレた、ってことだよね?」

すぐさま加速し、ディオキアの基地へと向かう。
飛ぶように凄まじいスピードで流れる景色の中であっても、キラの正確な視力は基地上空での現状を明確にとらえることができていた。
基地から飛び立とうとするシャトルと、それを追うモビルスーツ。あれはAMA-935バビ。
バルトフェルドに以前見せてもらった情報によると、空戦用に開発された新型機だったはずだ。

それを証明するかのように、モビルアーマー形態に変じた機体たちが一気に加速する。
そして飛びながら両手のビームライフルとミサイルを発射するのが視界に入った。
地上からは砲戦用のガズウートが対空ミサイルを打ち上げている。

シャトルが砲撃を振り切ろうとしているのが分かるが、あれでは追いつかれる。
あのシャトルには大切なひとたちが乗っているのだ、落とさせるわけにはいかない。

躊躇うことなくトリガーを引いたキラは、正確にミサイルらを薙ぎ払った。
追撃しようとするバビ隊の前にフリーダムで割って入ったキラは、敵の頭部や武装のみを狙い撃つ。
接近戦に持ち込もうとする敵には遠慮なくビームサーベルで武装を切り落とす。

「司令塔が使えなくなれば…!」

急降下したキラは、そのまま司令塔の近くをフリーダムで滑空する。
それだけのことだったか、生まれた凄まじい風圧に司令塔のガラス全てにひびが入るのが見えた。
これでしばらくは外も見られず、司令塔としての役目を果たすことはできないだろう。

空域に敵がいなくなったのを確認し、再びキラはフリーダムを上昇させる。
逸る気持ちを抑えながら加速したキラは、通信を開いてシャトルの中へと呼びかけた。

「ラクス!」
<キラ!>

思わず声が上ずる。だが、モニターに映ったラクスの顔に、ほっと胸を撫で下ろした。
バルトフェルドが笑っている姿も見える。

<ごくろうさん!大胆な歌姫の発想には、毎度驚かされるがな。だが、これでOKかな?>
「…やっぱり心配だ。ラクス、僕も一緒に」
<いえ、それはいけません、キラ>

不安で身を乗り出すキラに、ラクスは毅然と答えた。

<あなたはアークエンジェルにいてくださらなければ。マリューさんやカガリさんはどうなります?>
「でも……」
<私なら大丈夫ですわ。必ず帰ってきます。あなたのもとへ……>

だから…と笑みを見せる少女をじっと見つめる。
空色の瞳はいつも曇りなく、真っ直ぐに先を見据えて揺るがない。

だが、自分にとってラクスはただひとりの女の子で。失えない愛しい存在であり、同志でもある。
実際に目の前で彼女が危険な目に遭っただけでこんなにも不安になるというのに。
これからは、すぐには駆けつけられない場所へと行ってしまう。

<ここまで来て我が儘言うな。俺がちゃんと守る。――― お前の代わりに、命がけでな>

バルトフェルドの言葉は軽い調子だが、根底に響くのは真摯な音。
彼ほど信頼に足る存在はそういないことを、キラとて知っている。でも、気持ちは別物なのだ。

「バルトフェルドさん……」
<信じてまかせろ>
<キラ…>

あえやかな声が、いつも自分に冷静さを思い出させてくれる。
自分がいますべきこと、出来ること、それらを見失ってはいけない。
だからキラは、操縦桿をぐっと握り締めながらも、小さく頷いてみせた。

「……分かりました。お願いします」

信じよう、ラクスとバルトフェルドを。必ず戻ってきてくれることを。
そして、お互いがすべきことを果たすために。

フリーダムを減速させれば、みるみるシャトルとの距離が離れていく。

遠ざかるそれを見送るだけで胸が張り裂けそうで。
キラは思わず叫んでいた。

「ほんとに気をつけて、ラクス。絶対に戻ってきて!」

シャトルとフリーダムの距離が離れたせいで、画像も音も乱れる。
自分の声がどこまで届いたかは分からない。
だが、画像が完全に消え去る直前に、ラクスがこちらへ向いて自分の名を呼んだのが分かった。

届かない声を思いながら、キラはじっとシャトルが空へ吸い込まれていくのを見送る。

いつかまた、必ず会えることを願いながら。
















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