+++ 飛 翔 +++
41.掌にあるもの 「アスラン、手伝うよ。こっち終わったから」 格納庫にやって来たキラが、穏やかな声を響かせた。 メイリンと機体調整の相談をしていたアスランは遠慮しようとするものの、意外と強引な幼馴染に強行されてしまう。 いまだ包帯がとれないこちらを気遣ってくれているらしい。こうした作業ならば問題ないというのに。 だがこうして当たり前のように言葉をかわして作業することができる、そのことがとても嬉しく感じられて。 「…すまない」 アスランは素直にキラにモニターの前を譲ると座らせたもらうことにした。 いまやっていたのはプログラミング主体の作業だから、むしろキラに任せた方が速いし効率が良いだろう。マニュアルにはない独自のプログラミングをする友人だが、かえってその方が有効だったりするのだから恐れ入る。 キラの指がよどみなくキーボードを叩くのを見て、メイリンも驚いた表情を見せていた。 「…どうなってるんだろうな、プラントの方は」 「…うん。ザフトだって、もう絶対、これ以上のプラントへの攻撃は防ぐと思うけど」 「あぁ」 「……もどかしいね。いまは何も出来ないって分かっててもさ」 無力であることの悔しさや恐怖は、きっと誰もが感じる。 なんとかしたいという気持ちはあるのにそのための力がなく、ただ見守ることしか出来ない。 守りたいものが目の前で歪み壊れていく。それは凄まじい恐怖を与える。 結果、冷静な判断力を人々から奪い、より自体を混乱に陥れる。 そうして大きくなり終わりの見えなくなった争いを自分たちは何度も見てきた。 もう二度と同じことは繰り返さないと決めたのに。 世界はデュランダルのもとで秩序を手に入れようとしているかに見えるが。 ……恐らく、このままいけばより未来の見えない世界へと向かってしまうだろう。 月の裏側に隠されていた兵器だが、ザフトによって無力化されたとの情報が入ってきた。 動いたのはミネルバだそうで、恐らくはシンたちの力によるものだろうとアスランが呟いていた。…当面の危機は去ったものの、デュランダルによるデスティニープランは進んでいるに違いない。 実際にどういう政策をとるのかは分からないが、ジブリールも排除されたというし彼を阻むものはほぼなくなった。いよいよ本腰を入れて動き出す、と思っていた方がいいだろう。 「目まぐるしく情勢が動きすぎて、もう頭がついていかない…」 「それで諦めて温泉に入ってるわけか、ある意味呑気だな坊主」 「…ムウさんに言われたくありません」 「……あくまでその呼び方を貫くんだな。もう好きにしてくれ」 やれやれと肩をすくめたムウは肩に湯をかける。 正式にアークエンジェルの乗員となった彼は温泉の存在を知ったときは何やら打ちひしがれていた。こんな連中と真剣に戦ってた俺が馬鹿みたいじゃないか…と唸った後で、肩を震わせて笑っていたけれど。 どんな場所でもこの平和な思考を保っていられるお前たちは、器が違うんだなと。 いまではすっかり温泉が気に入ったようで、毎日のように入浴しているらしい。 「しかし風呂掃除は面倒だよな。いっそひとつの湯船にしちまえばいいのに」 「無茶言わないでくださいよ」 「時間で男女分けるとかさ。あわよくば混浴、なんて」 「………マリューさんに殴られますよ」 「お前だって興味あるだろ?あのピンクのお姫様の入浴シーン」 「……いえ、あんな刺激はもういりません」 「は!?一緒に入ったことあるのか、人畜無害な顔してやるな」 「人畜無害って…」 「あ、お前さんフリーダムのパイロットだったか。無害とか全然違ったわ、むしろラスボス」 ムウとしての記憶が戻っていない彼は、やはり言動がムウだった頃のものとは違う。 ひらひらと手を振って嫌そうな顔を向けてくる男にキラはどんな顔をすればいいのか分からなかった。もしムウの記憶が戻ったとしたら、ネオであった間の記憶はどうなるのだろうか。 ……もし覚えていたとしたら、混浴の件についてマリューに告げ口してやろう。 「情勢ねぇ…。戦況について考えることはあっても、世界がどう動くかには興味はなかったからな」 「…そうなんですか?指揮官だったんじゃ」 「といっても中間管理職だ。上の命令に従って、ただ勝てばいいだけ。それが軍人ってもんだろ?お前たちみたいに、ひとりひとりが考えて行動する、っての方が特殊なんだ」 「それは…そうでしょうね」 ムウの言う通り、軍人に求められるのは思考ではなく行動だ。 ただ従順な駒として指揮に従い、自軍に勝利をもたらすことだけが求められる。 自分が正しいのか間違っているのかなど自問している余裕はない。それは迷いを生む危険があるからだ。戦場で迷えば命取りとなり、敗北ひいては死を意味することが多い。 だが自分たちで考えることをやめ、ひたすらに戦い続けた結果が数年前の大戦だ。 それではいけないと、考えることを諦めず続けようと決めた。 けれど本来キラは難しいことを考えることは不得手である。苦手なものはいつだって後回しにして、宿題などもぎりぎりに片付ける典型の学生だった。 おかげでぐるぐると考え続けていると頭痛がしてきて、最終的に放り出したい気持ちになってしまい困る。…アスランにばれたら緊張感がない、と絶対に叱られるに違いない。 親友は逆に考えすぎてしまうきらいがあるから、自分たちで足して割ったら丁度いいんじゃないだろうか。 「ムウさんは、このまま月に上がることになっても」 「ついていく。それはもう決めた」 「…そうですか」 「まだ分からないことだらけだが、俺がいたいと思う場所だけは分かってるからな」 それはきっとマリューの傍なのだろう。 にっと笑う顔は記憶の中にある懐かしいそれと同じで。キラも笑った。 温泉でしっかりと身体を休めたキラはラクスの部屋へと向かっていた。 途中で通りかかった食堂では、ミリアリアがメイリンに管制の方法についてレクチャーしていた。 オーブ製のアークエンジェルではザフト艦とシステムが違うのだろう。メイリンもこのまま月へと共に向かうつもりらしかった。 「ラクス、ちょっといい?」 いつものように扉を開くと、部屋は真っ暗だった。もしやどこかに出かけているのだろうか。 地球に降下してからのラクスはそれほど忙しくはないものの、だからといって怠けているわけではない。 カガリかマリューらと話し合いでもしているのだろうかと思ったのだが。 よく目をこらしてみると、ベッドに横たわる彼女に気付いた。どうやら寝ているらしい。 忍び足で枕元に近づいたキラは腰を下ろしてラクスの柔らかな髪に触れる。 傍にはメンデルで見つけたというノートが置かれており、デスティニープランについて考えていたのかもしれない。寝顔もやや難しい表情に感じられた。 「夢ぐらい、穏やかだといいのに」 優しくラクスの髪を梳いて滑らかな頬を撫でる。 ただそれだけのことだったけれど、彼女の表情が和らいだような気がした。 先の大戦、初めて出会った頃からラクスは常に先を見据え続けていた。いや、自分と出会うはるか前から彼女はそうだったのだろう。目の前のことで全てを見失ってしまうのではなく、より良い道を探して彼方を見つめ続けてきた澄んだ瞳。 誰もが憎しみや悲しみに囚われ道を失う中で、ラクスは凛として前を見ていた。 だからといって彼女が超人というわけではなく、ラクスとてただひとりの人間。 父を失って涙を流していた姿を知っている。心の傷を癒す時間が必要だったことも。 ひとつの国だけではなく、この世界を背負うには小さな背中。 なのにラクス・クラインという名は彼女に多くの重圧を与える。人々を導く存在として。 ラクスだって本当は常に道を探して彷徨うひとりの人間なのに。揺らがないはずがないのに。 周囲の人々も、自分も、彼女の強さに甘えてしまいがちだ。 「………僕も、頑張るから」 ムウが言っていた、自分がいたいと思う場所。 キラにとってそれはラクスの傍であり、アスランやカガリ、他の仲間たちが笑っていてくれる場所。 多くを抱えて無数の傷をつくる愛しい存在を、守りたい。 守りたいと願って握った拳で、大切なものを壊してきた日々を繰り返してはならない。 「………キラ?」 「…ん、ごめん、起こしちゃったね」 うっすらと開いた目に苦笑して、寝てていいよとその瞼に唇を落とす。 くすぐったそうに吐息を漏らして笑ったラクスは細く白い手をさまよわせた。 彼女の手をとって指を絡めると安心したようにラクスの身体が弛緩していくのが分かる。 「おやすみ、ラクス。良い夢を」 ラクスの手にも口づけを落とす。 現実の世界はあまりにも悲しいことや辛いことが多すぎて。だからこそせめて夢の中では穏やかな時間を過ごしてほしいと思う。そしてそんな未来が訪れることを願っている。 そのために出来ることを探し、諦めずに歩き続けなければ。 この繋いだ手が、キラにとっての道標だ。 触れる温もりがあれば迷ったとしてもまた一歩を踏み出せる。 そして彼女にとっても、自分の存在が同じものになっているといい。 アスランの傷もほぼ癒える頃。 アークエンジェルは月へと上がることが正式に決定した。 目まぐるしく変化を続ける世界。 デュランダルのもとへと、多くの力が集まりはじめている。 ようやく世界はひとつになり平和へと踏み出すのだ、と熱狂している人々。 だがはたしてそうなのだろうか、と危惧する国はオーブだけではない。 力が一極に集中することはとても危険なのだ。 その力が正しく使われるのならばいい。だがもしも間違った使い方をされたなら? 抑止力となる存在がいなかった場合、それはもう誰にも止められない最悪の事態を招いてしまう。 「かといって、デュランダル議長を止める方法があるわけでもないんだが」 「だよね。議長を倒せばいい、って問題でもないし」 「何かあったときにすぐに対処できるよう、月へ上がる。とりあえずはそういうことですわね」 「うん。あれからプラントの方も動きがないから、情報収集しておかないと」 ジブリールが排除されてからの議長の動きは不気味なほど静かなものだった。 恐らくは大きく何かが動き出す前の静けさなのだろう。 「…間に合うといいんだが」 「諦めなければきっと大丈夫だよ」 「あぁ」 デュランダルだけではない。シンのこともアスランは気がかりだった。 戦うことの愚かさを誰よりも知っているのに、駒として戦場を駆け抜ける少年。 彼の悲しみと怒りに彩られた眼差しはいまもアスランの胸を苛み続けていた。 だって彼は昔の自分たちだ。 全部を終わらせたくて、守りたくて、なのに何もかもが手の中から零れ落ちていく。 怒りの言葉はシンの胸の奥底にある悲鳴。 彼自身も気付いていない心の叫びを、アスランはしっかりと拾い上げていた。 「キラ」 「ん?」 「……終わらせよう、なんとしても」 「……うん」 こうして友と笑い合えている。 その事実が、自分たちに力を与えてくれる。 きっと、まだ大丈夫。 この手は届くはず。 NEXT⇒◆ |