+++ 飛 翔 +++


7.動き出す歯車















二年ぶりに触れた懐かしい機体。

そんな時間を感じさせることなく、巨大な兵器は望むままに動く。




たくさんの涙も、怒りも、嘆きも。

共に駆け抜けてきた存在に再び触れながら。



戦場へ戻ってきてしまった焦燥と、かすかな郷愁を感じていた。





















シェルターから飛び出したフリーダムが見たものは、アスハ邸を囲む緑色の見慣れないモビルスーツ。カエルのような独特なフォルムに、あれは水中に特化した機体なのだろうと分かる。
モノアイがこちらへ向いたのに気付いて、すかさずキラはレバーを引いてビームサーベルを抜き放った。出来るだけ人を殺したくない。あの頃抱いた想いはそのままに、フリーダムは蒼穹へと舞い上がった。

その光景を黙って見つめていたラクスは、彼がコックピットを攻撃しないようにと努力したにも関わらず、襲撃者たちが機体を自爆させたことに気付く。
自らの任務が失敗してしまったのだ、彼らは捕まってしまうわけにはいかないのだろう。それは理解することができるが、自分が狙われた理由も含め、あの少年が悲しんでいるのではないかという思いも重なって、ラクスは表情を曇らせた。

なぜ、またこのようなことが起こってしまったのだろう。
自分の命が狙われ、そしてキラが再び戦場へと戻ることになってしまった。

彼がこれ以上傷つくことがなければいい、と。穏やかな時間の中で、彼と共に傷を癒そうとしていたラクスには衝撃的な出来事だった。それは無論マリューやバルトフェルドも同じこと。
世界がまた不穏な空気に包まれているのを感じてはいたが、まさかいきなり自分たちにその刃が向けられることになるとは思ってもみなかったのだから。

俯くラクスの肩を、マリューが優しく叩く。

顔を上げれば励ますように微笑む彼女と、小さく笑うバルトフェルドがいて。

このままではいけない、とラクスも頷いた。

「とりあえず、状況の整理だな」
「ええ、そうね」
「まずは情報を集めなければなりませんわね」
「お任せあれ。とりあえずラクスは、キラについててやってくれ」
「そうね、キラくんの傍にいてあげて」
「……はい」

マリューとバルトフェルドの気遣いをありがたく思いつつ、いまだに煙を上げている襲撃者の機体を見下ろしているフリーダムへと、ラクスは足を進める。どんなに血を流すことを避けようとしても、一度戦場に出てしまえばそれは夢物語のようなもの。
それを訴えるかのように燃え続ける残骸を見つめて、ラクスは青い瞳を細めた。
















「キラ」
「…ラクス」
「ありがとうございました。皆、無事ですわ」
「うん…」

フリーダムから降りると、ピンクの髪を揺らしてラクスが迎えてくれた。
少女の笑みにわずかな憂いが浮かんでいることに気付いて、キラは安心させるように柔かく微笑む。

「ねえ、ラクス」
「はい?」
「ちょっとだけ、ぎゅってしていい?」
「え?」

突然の申し出にラクスはきょとんと空色の瞳を瞬かせた。それを見て顔を綻ばせながらキラは手を伸ばす。そっと抱き締めた身体は柔かく、腕に感じる確かな温もりにほっと息を吐き出した。

大丈夫、彼女はここにいる。

自分は守れたのだ、大切なひとを。

それを確かめようとするかのように強く力を込めるキラに、ラクスは何も言わずその身体を委ねた。わずかに震えている気がする少年の背中に腕を回し、自分がここにいるのだと静かに伝える。
互いの髪が柔かく頬に触れ、それをくすぐったいと思うと同時に、深い安堵に包まれた。

「キラ…」
「…ん?」
「おかえりなさいませ」
「………うん。ただいま…」

こつん、と優しくぶつかった額に、二人はそっと微笑んだ。





















アスハ家の別邸へとラクスと共に戻ると、そのあまりに無残な建物の姿にキラは言葉を失ってしまった。
半壊どころかほぼ全壊してしまっており、どこが誰の部屋だったのかも分からない。モビルスーツに攻撃されたのだ、それも当然のことだろうとは思うけれど。いままで当たり前のように過ごしてきた日常が、いとも簡単に崩れ去ったのを知らせているようで、わずかに拳を握る。

そんな中でも子供たちは瓦礫の山を好奇心いっぱいで探索しようとしており、カリダが慌ててそれを止めていて。どんな状況でも無邪気さを失わないその姿に、キラもラクスもくすりと笑みを零した。

それから色々と情報を集めていてくれたバルトフェルドの元へと向かう。
マリューも彼もとても難しい表情をしていて、自然キラたちも気を引き締めた。

襲撃してきた者たちの機体がなんだったのか調べがついたのだという。
自分たちが実際に戦場にいたのは二年前だ、その間にも技術は日々進歩しており、あの緑の機体はキラが見たこともないものだった。

「アッシュ?」
「ああ。データでしか知らんがね」

それがあの機体の名前なのだという。しかしバルトフェルドが珍しく低い声で続ける。

「だがあれは、最近ロールアウトしたばかりの機種だ。まだ正規軍にしかないはずだが……」
「それがラクスさんを……ということは」

大人二人の言葉を総合すれば、ラクスを狙った襲撃者たちはプラントからやって来たということになる。ザフトにしかないはずの、新型を投入してきたということなのだから。だが、そのことにラクスもキラも困惑するしかなかった。
バルトフェルドが小さく溜め息を吐いて、肩をすくめる。

「何だかよくわからんが、プラントへお引越しってのも、やめといた方がよさそうだってことだよなぁ」
「でも……なぜ、私が……?」
「ラクス……」

不安気な表情を浮かべる少女の肩を引き寄せる。
そう、結局はそこに行き着くのだ。なぜラクスが狙われなければならないのか、と。

彼女を排除してどんな利益があるというのだろう。いまはただ、静かに暮らしているだけの、たったひとりの少女を。
そこまでキラの思考が沈んだところで、すっとんきょうな声が耳を打った。

「まああ!なんてことでしょう!まあぁ!」
「…マーナさん?」
「キラ様!よくご無事で!これはいったいどういうことでしょう?」
「あ……えーと……」

カガリの世話係であるマーナである。瓦礫の山となった別邸に、口元に手をあてつつ呆然と辺りを見回している。そういえばここはアスハ家から借りている場所だったのだ、ということを思い出してキラは申し訳ない気持ちになった。謝るキラにマーナは状況を尋ねるが、何と答えたものか迷う。
バルトフェルドが説明するものの、彼の口調では冗談を言っているようにしか見えないようで、ぎっと睨まれてしまった。

「急ぎの用事を仰せつかって来てみれば、こちらはこちらで…」
「急ぎの用事?」

マーナがぶちぶちと呟いた言葉の中で気になったものを繰り返すと、それまで凄まじい勢いでバルトフェルドに迫っていたマーナの勢いが失われる。カガリでさえも逆らえない強さを持つ彼女にしては、とても珍しい姿だ。

「これを。……カガリお嬢様からキラ様に、と」
「え?」
「お嬢様はもう、ご自分でこちらにお出かけになることすら叶わなくなりましたので、マーナがこっそりと預かってまいりました……」
「え……?」

突然の情報にキラは目を瞠る。そして他のメンバーも驚いてマーナに詰め寄った。

「何?どうかしたの、カガリさん?」
「お怪我でもされたのですか?」
「いいえ、お元気ではいらっしゃいますよ。ただ…もう、結婚式のためにセイラン家にお入りになられまして……」
「ええ!?」
「お式まではあちらのお宅にお預かり。その後もどうなることか、このマーナにも分からない状態なのでございます」

結婚式。
その単語にキラたちは動揺を隠すことができない。

マーナの言葉から推測するに、結婚相手というのはアスランではない。何度か聞いたことのある、ユウナ・ロマ・セイランという青年のことだろう。幼い頃からの話だなんだということだったが、カガリにそのつもりは全くなかったし、具体的な話として浮上してくるのはもっと先のことだろうと誰もが思っていたのに。
マーナから手渡された手紙をキラは慌てて開く。彼女らしい勢いのある字も、なぜかわずかに歪んでいるような気がした。



――――――――― キラ、すまない



その一言から始まる文章に、キラは紫苑の瞳を細める。隣から覗き込むラクスも沈痛な面持ちを隠そうとはしなかった。
自分たちの横でマーナがセイラン家に対する不満をバルトフェルドにぶちまけているが、そんなものは耳に入ってこない。ただ手紙のカガリの文字だけをひたすらに追っていく。



――――――――― ちゃんと一度自分で行って、話をしようと思っていたんだがな

              ちょっともう、動けなくなってしまった



彼女らしい真っ直ぐさは失われていない言葉。そして続く文字はオーブのことについてだった。
オーブが世界安全保障条約機構に加盟することによって、また国は揺れる。不安な情勢であるからこそ、国にはしっかりした、民が安心できる指導者と体制が必要なのだということ。そしてそのために、自分はオーブの代表としてユウナ・ロマ・セイランと結婚するということが書かれている。

まるでそうするしかないのだと、自分に言い聞かせているかのような文章に、キラの眉間には皺が寄っていく。



――――――――― 同封した指輪は、アスランがくれたものだが、もう持っていることはできないし

              取りげられるのはイヤだ

              でも、私にはいまちょっと捨てることもできそうになくて本当にすまないんだが

              あいつが帰ってきたら、お前から返してやってくれないか?



封筒から転がり出てきたのは赤い石のついた指輪。手の平にあるそれを見つめて、キラは呆然とラクスと顔を見合わせる。アスランが彼女に贈った指輪。
これを親友はどんな気持ちで彼女に贈り、そしてカガリはどんな気持ちで受け取ったのだろう。

そして文章は終わる、みなが平和に、幸福に暮らせるような国にするために、私も頑張るから、というカガリの言葉で。
まとまらない思考のまま、キラは手紙から目を離す。傍にいるラクスが心配そうに腕に手をかけてきて、ぎこちない動きのまま振り返った。青い瞳がこちらを見つめていて、その気遣うような色にわずかに冷静さを取り戻しながら。

………みなが平和に、幸福に暮らせるように?

身体の奥底から湧き上がってきた憤りにも近いその熱に、キラは手にしていた手紙がくしゃっと潰れるのもお構いなしに力を込める。
カガリが全てを諦めて、その身を犠牲にして、本当に幸福になどなれるものか。
為政者として、きっと彼女の選んだ答えは正しいのだろう。でも、それでは自分は納得がいかない。自分にとって大切な存在であるカガリにも、幸せになってもらわなければ、意味がないのだ。

これまで何もしてこなかった自分に、そして理不尽なこの状況に、キラは怒りを覚えていた。

「………キラ?」
「ラクス、これって…ただの我が侭なのかもしれない。でも、僕は…こんなの…納得いかないよ」
「はい」
「ウズミさんがカガリに伝えようとしたこと、望んでいたことは、きっとこんなことじゃ…ない」

やがて世界は認めぬ者同士が際限なく争うものとなってしまう。ウズミが以前そう諭してくれた言葉が、また再び現実になろうとしている。そしてその歯車に、カガリも否応なく飲み込まれようとしているのだ。
このままでいいはずはない。黙っていてはいけない。
キラはその瞳に強い光を宿して、マリューとバルトフェルドへと向き直った。

「このままじゃ、駄目です。止めましょう、カガリを」
「キラくん…」
「それは、もしかして結婚式を邪魔するってことかな?」
「そうなるのも覚悟してます。このままじゃオーブは、本当にどうにもならなくなる」
「そうですわね。どちらにしろ、オーブにいるのも難しいのでしょうし…」
「それは、そうね。ラクスさんのこともあるし、キラくんたちもこのままじゃ居辛くなるでしょうしね」

分かった、と楽しげにバルトフェルドが頷く。これから忙しくなるね、と笑う男にマリューも悪戯っぽく微笑んだ。明るい空気を作り出してくれる大人に感謝しつつ、キラはラクスの手をそっと握る。まるで彼女から力をもらおうとするかのように。それが分かったのか、ラクスもそっと握り返してきてくれる。

「このままじゃいけない…。なら僕たちは、動き出さなきゃ」
「えぇ、そうですわね」
「………二年前みたいなことに、なる前に」

ぐっと力強く前を見据える少年の姿に、バルトフェルドもマリューも心からの笑みを浮かべた。
やっと彼の、止まっていた時間が、動き出したのだから。





















慌しくマリューらがオーブに隠遁している仲間たちへと連絡を取る。
その手際の良さは、まるでこうなることを予期していたかのようで。彼らがどんなときにも準備を怠っていなかったことに、キラは逞しさを感じていた。

ぼんやりとそれらを見守っていた自分の隣に、ラクスが並ぶ。

「子供たちは?」
「やっと落ち着いたみたいですわ。今はまたお引越しの準備をしています」
「そっか。なんだか転々として大変だよね」
「ふふ、そうですわね。キラはここで何を?」
「んー…僕って別にできることないから。マリューさんたちが頑張ってるのを、すごいなぁって見てただけ」
「まあ」

くすくすと笑う少女に自身も柔かく微笑んでその細い肩に頭を預けた。それを拒むことなく、ラクスは優しく髪を撫でてくれる。その心地良さを感じながら、キラはぽつりと呟いた。

「……ありがとう」
「え?」
「今まで、ずっと、僕のことを守っててくれて。フリーダムのこと、黙っててくれて」
「いえ…それは」
「そのおかげで、僕はまた自分を取り戻せたような気がするんだ」
「キラ………」
「すごい時間がかかっちゃったね……。皆にも、心配かけた」
「いいえ。それだけの辛い想いを、キラはしてきたのですから」

確かにそうかもしれない。けれど、それは皆も同じことだ。
だからいつまでも甘えているわけにはいかない、と顔を上げたキラはラクスの頬に唇を落とす。

「キラ?」
「今度は僕が、守るよ。ラクスが守ってくれた分まで」

大切なひとを二度と失ってしまうことがないように。
そう願いをこめて伝えれば、目の前の少女は青い瞳を揺らして、そしてとても綺麗な笑顔を見せてくれた。

もう見失うわけにはいかない。立ち止まるわけにはいかない。

大切なひとを守るために。大切なひとが生きる世界を守るために。

自分は自分の出来ることをしなければ。





何が起ころうとしているのか、まだ分からないけれど。

見えない何かが、動き出しているのは事実なのだから。

























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