+++ 萌 芽 +++


3.温もり




たくさんの優しさと、たくさんの笑顔に囲まれて。

きっとこれが幸せなんだろうと思う。


それなのに胸の中にぽっかりと大きな空洞があるように感じるのは、なぜなのだろう?














「キラー、今日はカガリは?」
「アスランもいないよー」

朝食を終えて食後の紅茶を楽しんでいたキラは、子供たちのさえずりに我に返った。そういえば昨夜、今日は朝早くから出かけると言っていた気がする。

「今日は出てると思うよ」
「えーなんで?」
「お二人とも、オーブの本島の方へ出かけていますわ。戻られるのは夕方とおっしゃっていましたけれど」

食器を洗い終えたラクスが微笑みを浮かべながら現れた。
朝から働いているのに、変わらず穏やかな空気を纏っている。

「オーブ?何か、あったの?」
「悪いことではないようですわ。ただ、カガリさんに立ち会って頂きたいと要請があったそうです」


オーブの獅子であるウズミ・ナラ・アスハの唯一の後継者であるカガリ。その名も、そして志もオーブにとっては必要なものかもしれない。
しかしそんな世界の情勢を子供たちが理解できるはずもなく。


「ちえー、鬼ごっこしようと思ったのになー」
「あたしもアスランに教えてほしいことあったのにー」
「あらあら、お二人とも大人気ですわね」


ラクスの言葉にキラは目を細めた。
子供たちと一緒になって真剣に遊ぶカガリ。不器用で愛想がなくても、優しい所のあるアスラン。子供たちはそんな二人の本質を見抜いていて、だからこそ慕う。

そしてその姿を温かく見守るラクスは、まるで皆の母親のようだ、と思った。

優しく包み込んでくれる空気。
涙を流すときは、ただ受け止めてくれる細い腕。降り注ぐ穏やかで透き通った声に、自分はどれほど癒されただろうか。

親を亡くした子供たちも、きっと同じなのだろう。なんだかんだと騒いでも、結局は皆ラクスの元へ戻ってくるのだから。


「………母さん、か」


オーブからアークエンジェルが発進するとき、ガラス越しに見た両親。自分の事を見て涙を流す母に、キラは会ってやらなかったのを後悔したものだ。

しかし今、自分は会えるのだろうか。

己の出生の秘密を知ってしまった。そしてまた、この手は血で汚れてしまっている。

そんな自分を、母はどう思うのだろう?
自分もまた、どう感じるのだろうか?



それが怖いと感じてしまい、キラはぎゅっと拳を握り締めるのだった。
















「大丈夫か、カガリ」
「あぁ、なんとかな」

行政府を出て、やっと落ち着けたカガリはそっと息を吐いた。
外の空気が本当に心地良い。それほどに自分は窮屈に感じていたのだろうか。

「まあ…オーブが大西洋連邦から抜けられそうなのは、良い事なんだけどな…」
「そうだな」

問題は国内だ。オーブ解放戦と名づけられた、本土での戦い。その傷は深く、修復には随分と時間がかかりそうである。そして何より、あの戦いの折オーブの主立った議員たちが国と共に最期を迎えてしまい、上部はいまだに混乱しているのが現状だった。

「あの中に…入っていけるんだろうか、私は」
「カガリ……」
「はは、情けないな。こんなんで弱気になるなんてさ」

いきなり父のようになれるはずがない。
それは分かっていても、やはり気持ちは焦る。祖国を愛しているからこそ、国民には幸せな毎日を送って欲しい。そんな日々を取り戻したい。

「俺もいるだろう?」
「アスラン……」
「一人じゃないんだ、俺たちは」
「うん…」

大きな手が、優しく自分の髪を撫でる。
自然と瞳を閉じると、啄ばむように温かい唇が重なった。

そう、自分は一人じゃない………………。








本島での用事も済み、マルキオの伝道所へ戻るためヘリポートへやって来ると、見覚えのある女性が立っていて、アスランは驚きに立ち止まった。

「………え」
「あら、アスランくん」

自分に気付いてにこりと笑う女性は、やはり記憶通りの人物らしい。しかし未だに信じることが出来ずアスランは目を白黒させている。

「な……本当に?」
「ふふ、大きくなったわね。びっくりしちゃった」

自分の子供を見るように、女性の目は柔らかい。
最後に会ったのはいつだっただろう。自分が月からプラントへ引っ越して以来なのだから、もう三年は過ぎている。

「へへーん、驚いただろ」
「あ、あぁ」
「カガリさんから連絡をもらったときは私も驚いたわ。でも本当に良かった、あなた達が無事で」

自分の母であるレノアと、とても親しかったキラの母カリダ。昔と変わらない姿に、アスランはふいに泣きたくなった。
まるであの頃に戻ったようで。けれど確かに違う事、ここに自分の母はいない。

「本当に………よく頑張ったわね」

優しい空気の中、涙が流れないようにアスランはそっと空を見上げた。












また日が沈む。
一日の終わりを燃えるような緋色で飾り、太陽が沈んでいく。

何度見ても切なさを感じる光景だ。

アスランと再び分かり合えたときも、夕焼けの中だったというのに。

それは消えていくものが放つ、最期の輝きのようだからなのだろうか。


「そろそろカガリさんたちも戻ってまいりますわね。みなさん、夕ご飯ですからお手伝いしてくださいな」
「「「はーい」」」
「僕も手伝おうか?」
「ありがとうございます、けれどキラはゆっくりしていてください。お手伝いしてもらわないと、子供たちは家事を覚えられませんもの」


ころころと笑って言うラクスは、本当に母親のようだ。こうしたちょっとした事から、子供たちにとって将来必要になることを教えていく。
心から子供たちのことを想う少女にキラは自然と表情を弛めた。


ラクスの言葉に甘えて、もう少しこの景色を眺めていようと踵を返したキラは、空に黒い点が浮かんでいるのに気付いた。だんだんとその点が大きくなり、それがヘリなのだという事が分かる。

カガリとアスランが帰ってきたのだろう。

夕飯前に駆けつけるなんてカガリらしいな、と失礼な事を考えながらキラは二人を迎えるため、ヘリポートへ向かった。



「アスラン、おかえり」
「キラ………」

ヘリから降りてきた親友に、キラは声をかけた。いつもなら小さく笑みを浮かべるはずのアスランは、どこかぎこちなく振り返る。
どうしたんだろう?不思議に思っていると、アスランの後に降りてきた人物にキラは目を瞠った。


そこに、いたのは………………。


「母、さん………」


そこに佇み、以前と変わらぬまま。優しげな風貌はそのままに、どこか心配そうに揺れる瞳にキラは自分の胸の中に何かが生まれるのを感じた。

「キラ」
「………………っ………」

懐かしい、声。
優しく全てを包み込むように。幼い頃から自分を見守ってくれていた、大きく温かい存在。

会いたいと願った。

会いたくないと怯えた。


目の前に確かにいる、その姿にキラの身体は強張る。夕陽が強く辺りを照らし、逆光のせいで母の表情がよく見えない。
怒っているだろうか、泣いているのだろうか。

いま自分はどのように映っている?どうしようもない息子だと思っているのかもしれない。それとも、もう息子だと思ってもいないのだろうか。


一歩、母が足を踏み出す。

少しずつ近づく足音に、キラはたまらず俯く。心配そうに見守っている気配がする、アスランとカガリだろうか。


もう手をのばせばとどく距離にまできた。

一拍おいて、母の手がすっとのびる。次にきた行動は、自分の予測のつかないものだった。






「おかえりなさい、キラ」
「………………え」




ふわり、と昔確かにそばにあった香りが自分を包む。身体に母の体温が伝わって初めて、自分は抱き締められているのだと気付く。

「本当に、無事に帰ってきてくれて……よかった」
「母さ、ん」
「いままで、よく頑張ったわね」

あぁ、母さんだ。

この声も温もりも、自分の髪を撫でる手も。自分が確かに覚えている、母の記憶。

「か、さん」
「ん?」
「話したいこと……いっぱいあるんだ」
「えぇ」
「聞きたいことも………いっぱいある」
「えぇ」

全てを分かっている、というような声音にキラはおそるおそる顔を上げる。そこにいたのは、いつものように穏やかに笑う母カリダだった。

揺るがずにそこにいる、大地のようにあらゆるものを育む母親というもの。

それはなんと大きな力なのだろうか。

「でもっ………ご、めん……母さん………!」
「いいのよ、キラ。いまはいいの」

あやすように背中を撫でてくれる。こんなふうにされたのは、小さい頃以来だ。

「いまは、ゆっくりと休みなさい。時間はまだあるんだし、私もここにいるわ。あなたもまたこうして私の元へ戻ってきてくれたのだし、ね?」
「………母さん」

いたずらっぽい笑みは、本当に自分の母なのだと安心させる。

胸に生まれた何かが一気にせりあがってきて、キラは必死に溢れないように堪える。
まだだ。まだ、甘えるわけにはいかない。


自分に頼らないように我慢する息子に、カリダは密かに眉をひそめた。
こうしてひとりで抱えてしまうようになるほど、戦争というものはキラに深い傷を負わせたのだろう。

きっとすぐには戻れないのかもしれない。
キラは自分の出自を知ってしまった。そしてたくさんの惨劇を見てきた。

大きく開いてしまった距離を縮めていくには、長い時間がかかるのかもしれない。


「キラ、これからは私もここでお世話になるから。あまりひとりで頑張らないのよ」
「………………でも」
「でないと、アスランくんもカガリさんも心配するでしょう?」

カリダの言葉に、そういえばとキラは振り返る。
そこには寄り添うようにして立っている二人がいた。ずっと自分のことを見守ってくれていたらしい。
それはそれで恥ずかしいような。

「うん………」
「これからよろしくお願いするわね、二人とも」
「あ、はい」
「こちらこそ、よろしくお願いします」


「みなさん、夕食の支度が整いましたわ」


ラクスがゆっくりと歩いてくる。ピンクの髪を揺らしながら現れた少女に、カリダは少し驚いたような様子を見せた後、また穏やかに微笑んだ。

「それじゃ、いきましょうか皆」
「あぁ、やっと食べられるー」
「あまり食べすぎるなよ」

わいわいと賑やかな様子で歩きだすメンバーを見てから、キラはラクスの方へ視線を移した。
大きな瞳が自分を優しく見つめている。

ラクスの隣に並ぶと、それを待っていたように彼女が歩を進める。歩幅を合わせて歩きながら、少し赤くなってしまった目元をキラは拭いた。よくよく考えれば、皆の前でなんてことをしていたのだろう。恥ずかしくなって、キラは余計に黙ってしまう。


「よかったですわね」
「ん?」
「お母様が、こちらへ来てくださって」
「うん………。もしかして、ラクスが連絡つけてくれたの?」
「私だけではありませんわ。カガリさんもです」


精神的に不安定な状況が続く自分を支えるために、きっと色々と手を打ってくれたのだろう。その気持が嬉しくて、キラはわずかに微笑む。


あれほど恐れていた再会なのに、会った瞬間に溢れたのはどうしようもない愛しさ。

会いたかったのだ、やはり。

いつもそばで感じていた温もり。それに触れたとき、様々な躊躇いは消えた。

変わらずいてくれる母という存在に、キラは願う。

いつか、自分が母に向き合えるときがくるようにと。

いまは無理でも、ぎこちない日々か続いたとしても。自分を受け止めてくれる母に、何かを返したい。





少しだけ見えてきた仄かな光に、キラの胸は揺さぶられるのであった。



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