+++ 哀楽 +++ 今日がその日だと気付いたのは、カレンダーを見たせいだった。 早朝の散歩を終え、家に戻ってきたキラは何となく慌しい空気に首を傾げた。 いつもはまだ夢の中にいるはずの子供たちも、珍しく起きてラクスとカリダの手伝いをしている。 今日は何かあったっけ…?と壁に下がっているカレンダーに目を向けると、今日の日付に赤くペンで印がついている。はて、と考えているとぼーっとカレンダーの前に立っているキラに気付いた子供たちが「あ!」と声を上げた。 「ダメだよ見ちゃ!」 「え?」 「つけっぱなしなの忘れてたー、キラには内緒だったのにぃ」 心底悔しそうな顔をする子供たちに、ますます首を捻る。自分には内緒……? もう一度カレンダーを見直して、やっと思い出した。今日は五月十八日だ。 「そっか……。僕の誕生日……」 「カガリもだよー」 「今日はパーティーやるんだもんね!」 無邪気な笑顔にありがとう、と笑みを浮かべてキラは子供たちの頭を撫でる。 楽しみにしててね!と走っていく子供たちを見送り、外に出ていつもの指定席に座る。賑やかな声を聞きながらも気分は晴れない。 今日は自分が生まれた日。 母の身体からではなく、人工の鉄の塊である機械から。 人類の夢とまで称されるほどの技術によって生み出された自分。 そんな日を祝うのはひどく違和感があって。 「キラ、おはようございます」 「………うん、おはようラクス」 ピンクの髪を揺らしてラクスが現れた。包み込むような笑顔が、沈みかけた物思いを溶かしてくれる気がする。 「今日は良いお天気ですわね」 「そうだね」 「子供たちもはりきってますわ」 「………………うん」 あまり良い表情を浮かべないキラにラクスは何も言わない。 そっと横に並び、キラが見ている景色を同じように見つめた。 波の音が心地よく、静かな空間に響く。 「波の音は、心臓の音と似ているそうです」 「……そうだね、そういえば」 「私たちは母の鼓動と愛情に守られて育ちます。ですから、こうして海を眺めて波の音を聞いていると……とても温かい気持になります」 「うん………」 ラクスは母親を随分前に亡くしているという。 それでもいまの言葉から、ラクスは母に愛されていたのだと感じていることが分かる。そして彼女自身も母を愛しているのだろうと。 「キラも、そうして成長されてこられたのでしょう?」 「………………そう、だね」 母に抱き締められたとき、耳に響いた鼓動。小さい頃は眠れずに泣いた夜も、母の胸の中にいれば安心して眠ることができた。それは母が自分を愛してくれていると、感じていたから。 そう、どんな生まれであろうと自分のことを母は愛してくれている。慈しんでくれている。 以前にラクスに聞いた言葉を、記憶を頼りに手繰り寄せる。 「この世界に生まれて……生きてるからには、世界は僕のもので………僕は世界のものだっけ」 「………キラ?」 「ありがとう、ラクス」 自分の出生の秘密を知ってしまった後だった。 生まれてきてはいけなかったのか、と呟いた自分にラクスが言ったのだ。母が言っていたと。 そして泣きそうに瞳を揺らしながら、微笑んでその唇が語る。 あなたがいたから私は幸せになれました 最高のコーディネイターだからではない、フリーダムやストライクのパイロットだからでもない。ただキラが、あなたがいたから自分が幸せを知ることができた。そう彼女は言葉を紡いでくれた。 あなたに………いてほしい ただその一言がどんなに嬉しかっただろう。 どれほど自分を救ってくれただろうか。 いまこうして傍に寄り添っていてくれることも、自分には力になっているのだろう。 「いいえ、キラ。お礼を言うのなら私の方ですわ」 ぼんやりと海を眺めながら取り留めのないことを考えていたキラは、静かに囁かれた言葉に反応が少し遅れた。意味をやっと理解してから、驚いてラクスの方を向く。 目が合うと、いつものようににっこりと笑みを返してくれた。 「私こそ、キラがここにいてくださることが本当に嬉しいのです」 そう言ってから身体を屈めて、座っているキラと顔の高さが同じぐらいになるようにする。そして小さく、けれどもキラの耳には届くくらいはっきりと声を発した。 「生まれてきてくれて、ありがとうございます………キラ」 ありがとう、と言うよりも先に頬に柔らかいものが触れる。 それがラクスの唇なのだと気付くのに、また少し時間がかかった。 キラがやっと頬にキスをされたと理解する頃には、頬をわずかに赤く染めたラクスは立ち上がってしまっていて。ど、どうしたらいいんだろう……とキラは苦悶する。 「あ、いらっしゃいましたわね」 「え?」 空を見上げてラクスが楽しそうに言った。なんだろう、と視線の先を追うとヘリが到着したところらしい。こんな早い時間にいったい誰だ?と考えている間に降りてきたのは、親友のアスランだった。 どうして彼がやって来たのだろう、それもカガリも連れずひとりで。 しかしラクスはアスランの来訪を知っていたようで、家からバスケットを持って出てきた。 「アスラン、おはようございます」 「おはよう二人とも」 「おはよう、アスラン」 とりあえず挨拶を済ませると、アスランは怪訝そうな表情でラクスの方へ向き直る。 「それで?いったい何の用なんだ」 「はい、これを是非カガリさんに渡していただきたいと思いましたの」 「………………これは?」 「サンドイッチですわ。どうぞお昼にでも、ゆっくりと息抜きなさって下さいな」 「気持ちは嬉しいが………」 言葉を濁すアスランの様子からして、きっとカガリの今日の予定はぎっしりと詰まっているに違いないのだろう。 「あら、せっかくのカガリさんの誕生日ですもの。アスランものんびりなさりたいでしょう?」 「あぁ……だが、仕事があるからな。たぶん車の中で食べることになると思うが、ありがたくいただくよ」 「………ねえ、アスラン。お昼って予定はどうなってるの?」 ふいに尋ねた自分に、アスランはひどく驚いたように目を見開いた。変なことを聞いたかな、と訝しむキラに気にするなと首を振って考える素振りを見せる。たぶん本日の予定を思い出しているのだろう。 「昼……は確か軍本部の視察が入っていたと思う、が」 「ふうん、なら少し時間とれるかも」 「は?」 「だからカガリとアスランが、ゆっくりサンドイッチを食べる時間。つくれるかも」 「なっ……!」 「まあ、キラ本当ですの?」 アスランが何かを言い出すよりも早く、嬉々としてラクスが手を合わせる。そんな彼女にたぶんだけどね、とキラがいたずらっぽく笑う。こんな普通の笑顔を見せるキラは久しぶりだ。 そのせいかアスランはあまり突っ込めず、家の中に入っていくキラとラクスを追うことしかできなかった。 「それで?いったい何をする気なんだ、お前」 「うーん、内緒」 「はあ?」 「だって言ったらアスラン反対すると思うから」 「反対されるような事なのか」 「たぶんね」 さらっと恐ろしいことを言って、キラは立ち上げたパソコンの画面を見つめる。相変わらずラクスはにこにこと笑っているだけだ。何なんだこのカップル。 猛然とキーボードを叩き出した親友に不安は増すばかりで。 何をしているんだ?と画面を覗き込んで、アスランは絶句した。この、画面は………。 「おい、キラ!お前どこにアクセスしてんだ!」 「どこって軍本部?」 「おまっ………」 「それでどうなさるおつもりなんです?」 「うん、少しだけ時間稼ぎをと思って」 アスランが頭を抱えているのも無視して、キラとラクスは色々と策略を巡らしはじめる。 つまりは、カガリが昼に軍の施設に行くのを遅らせるために、こちらでハッキングして少しアクシデントを起こそうということらしい。故意に起こすものなのに、アクシデントと呼んでいいものかどうか微妙だと思うのだが。 「何てことを考えるんだキラ……」 「大丈夫、少しだけ電源が落ちるだけだよ。何か壊したりはしてないから」 「そういう問題じゃないだろう!?そんなことが起きたら、原因確認のために一通り施設の点検をしないといけなくなったりで………」 「代表に視察に来てもらうわけにはいかなくなるよね?」 可愛らしく首を傾げられ、アスランはうっと息を詰まらせる。楽しそうにころころと笑ったラクスが、手を合わせたまま口を開いた。 「それなら少しだけカガリさんも時間が空きますわね」 「うん。たいしたことじゃないから、一時間ぐらいしか時間は稼げないと思うけど」 「充分たいしたことだ!」 天然もここまでくると危険すぎる。 「じゃあ、このお昼の時間が、僕からカガリへのプレゼントってことで」 「………………はあ?」 「誕生日だなんて忘れてたからさ、何も用意してなかったんだ。だからこれで」 「おいおい……」 「ではお昼に食べていただくサンドイッチが、私からのプレゼントですわね。あとはアスランが素敵な場所へエスコートしてくだされば、最高のプレゼントになりますわ」 拒否権はきっとないのだろう。 分かりました、と疲れたように答えてアスランはマルキオの伝道所を後にした。朝からとても疲れた顔をしていたという。 自分の仕事を成し終えたキラは、ふうと背もたれに身体を預けた。 「お疲れ様です、キラ」 「こんなことしかできないけど……」 むしろハッキングなんて犯罪だけど。 「くすくす。それでは私からキラへのプレゼントは、何にしましょうか」 「え?そんな、今朝の言葉だけで僕は充分だよ」 「まあ」 だって本当に嬉しかったんだ、と柔らかく笑むと心底嬉しそうにラクスも目を細めた。 「では、今晩のパーティーのときにキラのために一曲歌わせていただきますわね」 「それは素敵なプレゼントだね。楽しみにしてる」 聞くところによると、カリダと子供たちも自分のために色々と準備をしてくれているらしい。 本当に、なんて幸せなことだろうか。 こんなにも自分のことを想ってくれているひとたちがいる。 自分のために、笑って温かいものを差し出してくれるひとたちが。 「ケーキもありますのよ。食事も子供たちが頑張って作ってますし」 「うん」 「夜にはカガリさんとアスランもお招きしています。きっと楽しいですわ」 「そうだね。カガリたちも来るんじゃ、大騒ぎになりそう」 「ふふ、そうですわね」 どんな生まれであろうと、皆が自分を愛してくれていることに変わりはない。 それなら自分も皆に応えられるように。 せめて笑顔を浮かべていよう。 いつか愛しい者たちへ、何かを返せるようになるその日まで。 fin... |