続・悩み なんだか最近、視線をびしばしと感じる。 それは背後からであったり、どこか遠くからであったり。 誰からかは分からないけど、確実に自分に向けられているであろうもの。 なんかやったっけ? 首を傾げつつ、イザークの部屋へ向かう。 仕事を真面目にこなす自分の上司は、ほとんどその日のうちに事務処理を終えてくれる。副官の自分はおかげで楽をさせてもらっているが、その分プライベートな部分での負担が大きいのだ。 代わってくれる人間がいるのなら、喜んでこのポジションを譲りたい。 あの激昂した隊長をフォローできる者がいるとは、到底思えないのだが。 「イザーク、入るぞ」 「返事を聞いてから入ってこんか馬鹿者」 顔を出せばすぐに返ってくるイザークの声。 こんな物言いにもすっかり慣れてしまったディアッカは肩をすくめるだけで、イザークもそれ以上は何も言わない。 机の前に移動すると、片付いた書類がきっちりと重ねてある。それを受け取ろうとすると、アイスブルーの綺麗な瞳がちらりとこちらの手元を向いた。 「…何?」 「追加か、それは」 「あぁ、これ?」 腕に抱えているのは大量の書類。終わったと思ったのに、こうして仕事が舞い込んでくるのもいつものことで。イザークは置いておけ、と形の良い顎をしゃくる。 隊長の証である白い軍服を纏い、疲れも見せずペンを取る戦友にディアッカは感心したような呆れたような表情を浮かべた。 「んじゃ、ここ置いとくわ」 「…その書類は違うのか」 「こっちは配布物だってさ。ほら、お前の分」 「………?……あぁ、訓練規定の変更か」 「どの項目が変更になったかと、あと模範演習のお知らせ」 模範演習?とイザークが眉間に皺を寄せる。 「俺たち経験者は良いけどさぁ、新入りは実戦なんて分からないからじゃねえの」 「………ひよっこのため、という事か。くだらん」 「身も蓋もない………」 ヤキンの戦いを経て、だいぶ時間が経った。 それを実感するのが、実際の戦闘を経験したことのないルーキーが増えている、ということに気付いてである。その交わされる会話からは、命の奪い合いという緊張感があまりないように感じられるのだ。 「実戦なんて、経験せずに済むんならその方が良いんだろうけどさ」 「俺たちは軍人だぞ。何を甘えたことを言っている」 「そりゃそうだけどさ」 「………大きな争いになる前に、俺たちが止めなければならない。そのために、いまこの力を手にしているのだと」 「イザーク?」 いつも以上に不機嫌な表情で書類を睨む相棒に、ディアッカは不審に思う。普段は誰から見ても分かるほどに感情の起伏が激しく、そして単純なイザークだが。ときどき何を思っているのか、分からなくなるときがある。 大抵は彼らしく、胸のすくようなことだったりするわけだが。 「この模範演習、俺たちの隊は誰が出るんだ?」 「え、そりゃ成績の優秀なのじゃないの。ルーキー向けになんだろうから、たぶんその中から……」 「それならば俺とお前がやるぞ」 「はあ?」 きっぱりと言い放たれた言葉に、ディアッカは癖のついた自分の髪を掻く。 少しセットが乱れてしまったのか、金色の髪がはらりと落ちてきた。 しかしイザークはもう決定事項だと言わんばかりの様子で、椅子に踏ん反り返って自慢の銀髪を揺らしている。ダメだ、こうなったやつは止められない………。 「なんだってまた………」 「何のための模範演習だと思っている。せっかくの機会だ、実戦の恐ろしさを感じさせてやろうというんだ」 「たかが模範演習……」 「最近、どこか緊張感がないようだからな。気を引き締める良い機会になるだろう」 「あぁ、そういうこと」 それは俺も賛成、と呟くと当然だと鼻で笑われてしまった。 それよりもとディアッカは書類に目を落として呟く。 「この模範演習って、三つあんだけど?俺とイザークと、もうひとりぐらい用意しないとだぜ」 「………実戦経験者か。あぁ、あれがいい」 「誰?」 「シホだ、シホ・ハーネンフース」 「あぁ……」 あのイザークによく似てる女の子ね、とディアッカは納得した。 東洋人らしいきりりとした顔立ち、軍人らしい言動とそれに比例した実力。美人といえる容姿でありながら、あまり女性らしい空気を放っていないためかイザークが珍しく気に入っている部下である。 彼女も赤であるし、大戦を生き抜いた猛者でもある。 また二つ名を持つほどであるのだから、その腕前は確かなものだろう。 「それじゃあ、決まりっと」 「シホへの連絡、頼むぞ」 「………え、俺が?」 「他に誰がいるというんだ」 「お前とか」 「俺の机の書類をよく見てから言え」 確かにイザークの机の上には書類が山積みだ。まして追加分を持ってきたのは、他でもない自分であるのだし。それでもと口を開こうとして、やめた。 すでに仕事に取り掛かっている彼に声をかけても、低い機嫌がより低空飛行に切り替わるだけだということを長い付き合いで学んでいるからである。 はあ、俺あの子苦手なんだけど………。 重い足を引き摺って、ディアッカは隊長室を後にした。 シホを発見するのは早かった。 イザークが気に入るほどの、筋金入りの軍人である彼女は訓練のために射撃場にいたからである。自分が声をかけると、かなり不審そうな目を向けられた。どうしてこうも嫌われているのだろうか。 「どうしましたか、副長」 「あぁ、これ配布物」 「………?ありがとうございます、副長がわざわざ…ですか?」 「いやさすがに他のヤツには配布してもらうけどさ。ちょっと隊長命令でね」 「隊長の……?」 何やらシホの目がきらりと光った気がする。 「それ見てもらえば分かると思うけどさ、今度模範演習があるわけ」 「………変更の項目に関してですね」 「そ。それでその模範演習、よろしくってことで」 「は?」 どうして自分が、というエリートにありがちな嫌がる顔かと思ったが違うらしい。 どちらかというと、何を言っているのか分からないという顔だ。 「イザークがさ、最近ちょっと艦内の空気がゆるんでるから気を引き締めるために、実戦の恐さを感じさせてやりたいってさ」 「なるほど」 「それで、実戦経験者が今回は出ることになったわけ」 「………お声をかけていただけて光栄です。他には誰が?」 シホの同期は皆あの大戦を経験している。その中から選ばれると思ったのだろう、幾分か和らいだ表情にディアッカは苦笑して自分を指差した。 それに対して、ぴしりという音と共に面白いほどシホが固まる。 「俺と、イザーク」 「………ふ、副長と………隊長!?」 「ま、よろしく」 わなわなと震える少女に苦笑を漏らして、ディアッカは身を翻す。これで自分の仕事は終わった、と自室へ戻ろうとして背中に視線を感じた。 これは、ここ数日ずっと感じていたあの視線だ。 もしかして、と振り返るとそこには睨むようにこちらを見るシホがいて。 この子だったのか………とディアッカは脱力する。 「何?」 「え!」 「ここんとこ、ずっと俺のこと見てなかった?」 「あ、えっとそれは」 まさか気付かれているとは思わなかったらしい。あんなにも強い視線、普通は気付くだろう。 しばらくわたわたとしていたが、意を決したのかきりっと顔を引き締めて居住まいを正してきた。 「副長は、ジュール隊長に何を贈って差し上げますか」 「………………は?」 「明日、ジュール隊長の誕生日です」 「………………………………げ」 知りたくもなかった情報を知ってしまい、ディアッカは青褪める。 あの寂しがり屋のイザークのことだ、祝ったら祝ったで軍人ならこんなことにかまけるな!とか怒鳴るくせに、何もしなかったらそれこそ怒り狂うかもしれない。 それを思い出させてくれた後輩に、ディアッカは心の中で涙を流す。 それからはたと気付いた。そんなことを自分に尋ねてくる、ということは………。 「イザークにプレゼント、やるんだ?」 「へ!い、いいえ私は別にっ!」 この子も素直じゃないな………………。 「はあ………。何だって俺の周りはこう」 「何かおっしゃいましたか?」 「いんや、なーんも。そうだな、特に何も考えてなかった」 「ええ!?」 「でも良いもんがあるから丁度良い」 何ですか?と勢い込んで食いついてくる少女に、ディアッカは口の端を吊り上げた。 なんだイザークもけっこう隅に置けないじゃん。 「これ、あいつに渡そうと思っててタイミングが掴めなかったんだ」 「………?何ですか、この人形みたいなもの」 「実際人形らしいぜ。ほら開けると」 「わっ、小さい人形が入ってる」 「その中にもまた小さいのが入ってるんだとさ」 「………こんなの、隊長喜ぶんですか?」 不審そうな表情を浮かべるシホに、まぁ当然の反応だわなとディアッカは笑う。自分だってこんなもの欲しくはない。というかもらったら魘されそうだ、不気味で。 「イザークの趣味は民俗学でさ、これもその掘り出し物らしい。俺はいらないから、あいつに譲ろうと思ってたんだ。丁度良いから持ってってくれよ」 「え?」 「どうせそっちも何か用意してたんだろ、プレゼント」 「うっ………」 全く、幸せもんだな隊長は。 頬を赤く染めて俯く後輩を目にしてそう思う。 「自分で渡しにくいなら、俺の頼まれたついでにってことにしとけよ」 「いいんですか?」 「あぁ。あいつに怒鳴られるのは慣れてるし」 言ってて何か哀しくなってくる言葉ではあるが。 しかしシホは少し安心したのか、わずかに笑みを見せてくれる。 「あ、でもいきなりプレゼントのために隊長の部屋を訪れるのも……」 「大義名分があんだから気にすんなよ」 「大義名分?」 「模範演習について伺いに来ましたってさ」 「あ………」 思いつかなかった、というような顔に本当に真面目な少女なんだなと納得する。これはイザークが気に入るわけだ。しかし真面目ということは、融通が利かないということでもあるわけで。 「し、しかし……そんな役目を言い訳にするわけには」 「なら言い訳じゃなくて、本当にすりゃいいって。あいつ射撃の腕はマジもんだから、訓練に付き合ってもらえば?」 「隊長と訓練………?」 呆然と呟いてから、シホの顔は物凄い勢いでぼぼぼと赤くなった。湯気まで噴出しそうな勢いに、これだけでも刺激が強いのかとディアッカは内心舌を巻く。 「とりあえず、それ渡すの任せたぜ?」 ばちんとウインクを残して廊下へ出る自分の背中に、小さく消え入りそうな声で「ありがとうございます」と少女の声がかけられたのが分かった。 それに小さく笑みを浮かべて、今度こそディアッカは自室へと戻るために歩き始める。 これで色々と楽になりそうだ。 シホからの変な視線は、つまり誕生日プレゼントのリサーチのため。 そして先日もらった扇子のお返しに渡そうと思って、ずっと渡せずにいたあの奇妙な人形も自分の手を離れた。ちょっとあれは恐かった。 忘れていて危なかったが、イザークの誕生日もとりあえず祝うことができそうである。 そして模範演習も、あの様子ならば素晴らしい出来になるに違いない。 そして後日、自信に満ちた様子で演習に参加する隊長と。 その横で同じく立派に模範演習を務めるシホの顔が、とても幸せそうだったと観察するディアッカがいたのであった。 |