奇 蹟 「アスラン、今日の予定ってどうなってたっけ?」 「この後は会談があって、夜まで各部署の視察が入っているが。どうかしたのか?」 「いや……。悪いと思ってさ」 「?」 次の場所へと移動するわずかな時間。 疲れているだろうに、そういった素振りを全く見せずに気丈な姿でいるカガリに、アスランは翡翠色の瞳を細めた。 「今日はお前の誕生日だろ。なのに、ゆっくりもできなくて」 「………そのことか。俺は気にしてないって言っただろう」 そういった小さなことも、大切なものだと言ってくれる彼女の気持ちは嬉しいけれど。 一番この日を楽しみにしていたのは、きっとカガリなのだろう。だからこそ、仕事でどうにもならないこの状況が口惜しいに違いない。 「それに、別の日に皆でパーティを開いてくれるんだろ?それで良いじゃないか」 「まあ……そうなんだけどさ」 「ほら、着くぞ」 会談場所が見えてきて、アスランはすっと背筋を伸ばす。 公私混同は政治家としてあってはならないこと。それくらいはカガリも重々承知している。 黄金色の双眸をひたりと前方へ向け、力強い足取りで進む少女は立派なひとりの為政者だ。 託されたたくさんの想いと、たくさんの命。 それらを守るために必死にその身を捧げる姿が、愛しいと同時に痛々しくも思えた。 本当は、自分のことを気にかけている場合ではないはずなのに。 けれどそれが、彼女の優しさであり、彼女であるという証なのだろう。 会談が思ったよりも長引いてしまい、他の視察は駆け足になってしまった。やっと一日の予定が終了した頃には、どっぷりと夜の帳も下りて夜中に近い時間になっている。 重い身体をシートに預けて力を抜くと、カガリが運転手に向かって何か指示を出していた。 「?このまま家に帰るんじゃないのか」 「ちょっと寄りたい場所があるんだ。付き合ってもらっていいか」 「あぁ、別に構わないが」 いったいこんな時間にどこに? そう首を捻っているうちに、車は家とは別方向へと進路をとりはじめたのであった。 そして着いた先はヘリポートで。 ヘリを使うほど遠い場所へ行くのか、と訝しむ自分にいいからと強引にカガリが背中を押す。渋々搭乗すると、ヘリが発進して地面から離れた。 「本当に、どこに行くんだ」 「あはは……」 ぶすっと拗ねてみせても、カガリは苦笑いを浮かべるだけで答えない。 不機嫌な表情をとってみせているうちに、だんだんと眠気が襲ってきてアスランは目をこすった。今日は忙しい日程だったから、いまになって疲れが出てきたのかもしれない。 そう思っていると、肩にふわりと何かが乗った気配がして。 「………カガリ?」 柔らかな金色の髪が見える。 そっと出来るだけ振動を与えないように顔を覗き込むと、長い睫毛がしっかりと下りていて。どうやら彼女も睡魔に勝てなかったらしい。 「仕方のないやつだな」 「ん………」 眠る横顔は、とても幼く見えて。ふっと顔を綻ばせる。 頬をそっと撫でると、くすぐったそうに身をよじった。そんな様子にアスランは目を細めて囁く。 「御疲れ様……カガリ」 そしてヘリが着いた先に、アスランはやっぱり……と頭に手を当てた。 「おいカガリ、着いたぞ」 「んー………ん?」 「まったく………、こんな所に俺を連れてきて、どうするつもりだ?」 「あ、なんだ。もう着いたのか」 やっと目を覚ましたらしく、カガリが身体を起こす。手を差し出してヘリから降りるのを手伝っていると、ふたつの影がこちらに歩いて来るのが見えた。どう見ても、彼らだ。 「いらっしゃいませ、お二人とも」 「こんな時間にすまない、ラクス」 「いいえ。お待ちしておりましたのよ」 「アスランも、お仕事お疲れ様」 「あぁ、いや……」 変わらず柔らかな笑みを浮かべて迎えるラクス。そして寄り添うように並ぶキラ。 二人とも元気そうで、アスランはほっと安堵の息を吐いた。それにしても。 「いったい、どういうことなんだ?」 「何が?」 「こんな時間に、どうして俺が来ることになるんだ」 そう尋ねると、え?と驚いたように幼馴染がアメジストの瞳を見開いた。 「説明してないの、カガリ」 「あー…細かいことは何も」 「まあ、それではアスランも驚きますわね」 のんびりと頬に手を当てて、ピンクの髪を揺らす元歌姫。浮世離れした言動は、どうやら健在のようである。ぼけぼけな二人に、アスランは何だかどうでもよくなってきた。 「今日はアスランの誕生日でしょ」 「あぁ」 「ですから、皆さんでお祝いしましょうということになったのですわ」 「は?」 「そういうことだ」 「どういうことだよ……。パーティは、別の日にやるって話だったろ?」 溜め息と共に告げれば、違ーう!とカガリがびしいっと指を突きつけてきた。 「こういうことは、やっぱりその日にやらないとだろ!子供たちは流石に眠ってるけど、私たちだけで祝ったりぐらいはできるから」 「子供たちとのパーティは、別の日にしましょうということですの」 「僕たちは、今日やろうってこと」 「おいおい……」 疲れ切った自分を引き摺るようにして、キラとカガリが砂浜を歩く。こういうところ、この双子はとてもそっくりだと思う。 そして外に設置されたテーブルと椅子が見えてきた。簡単な食事と、飲み物が用意されているらしい。 「お、美味しそうだな!」 「ふふ、お二人とも頑張ってくださっていますから。私たちから、ささやかなお礼ですわ」 「いっただっきまーす」 そういえば夕食もとる時間がなかったのだったか。 そんなことを思い出した途端、胃がしっかりと自己主張を始める。 「いただきます」 口に運ぶと広がる温かさに、アスランは胸も温まる気がした。 忙しい毎日と、それに見合うだけの結果が出てこない毎日にささくれ立った心が、ゆっくりと静まっていくのを感じる。こうして自分のために、忙しい中時間をとってくれる気持ちが嬉しくて。 「んー美味い!」 「ありがとうございます。喜んでいただけて、よかったですわ」 「アスラン、これ母さんから」 「………ロールキャベツ」 「好きでしょ?」 「あ、あぁ…まあ」 カリダまで準備を手伝ってくれたのか。 いつの間にか忘れかけていた優しい場所に、アスランは顔を伏せる。 この場所を守るために、自分とカガリは頑張っているはずなのに。 それさえも忘れてしまいそうになるほど、心を失いかけていたのかと。 「キラ、ラクス」 「うん?」 「はい」 「………………ありがとう」 ぼそり、と小さく呟いただけだったけれど。 ふわりと綺麗な笑顔を見せてくれた二人に、アスランは自然と笑みを返すことができた。 「ふー…食べた食べた」 「そんなに食べて、明日大丈夫か?」 「さあ?」 「カガリ……」 あっけらかんとした様子に、アスランは苦笑するものの。先ほどのような刺々しさがないことに、カガリも気付いていた。やっと彼らしくなって嬉しさに目元を綻ばせる。どうやら強引な計画だったが、自分たちの思いつきは良かったらしい。 「アスラン」 「………ん?」 「ありがとな」 「?」 部屋への階段を上っていた足を止め、くるりと後ろを振り返る。 月明かりに照らされた立ち姿に、アスランはすっと目を細めた。青白い光が背中から注ぎ、とても幻想的な光景を生み出している。 「生まれてきてくれて。それから、ずっと傍にいてくれて」 「………あぁ」 「これからも、よろしくな」 「それは俺の台詞だ」 「え?」 ぐいっと腕を引くと、バランスを崩して落ちるように胸に転がり込んでくる。 何するんだ、と抗議のために開いた唇に自分のそれを重ねる。 静かな夜の時間に、やっと訪れた二人だけの空間。 感じる柔らかな唇と、熱い吐息。 互いがここにいる幸せと、共に歩いていけるという希望。 それらを与えてくれたのはこの少女で。 一度は諦めかけた生を、逃げるなと救い上げてくれたのも彼女だ。 たくさんの幸福に気付かせてくれた愛しい存在を、しっかりと腕に抱いて。 生まれてきたことの奇蹟を、感じた。 fin... |