++ 願い ++ 










「貴様それでも軍人かぁ!!」

この怒声を聞くのも懐かしいな、とどこか諦めの境地で受け止められる。
それだけこの男と一緒にいる時間が長くなってしまったのだという現実は見なかったことにして。
ディアッカはいつも通りの少々皮肉めいた笑みを浮かべて肩をすくめた。







ここはアプリリウスにある軍の施設であり、当然ながら訓練所も設けられている。
軍人には日々の鍛練が義務として課せられているが、イザークなどはすでに習慣に近しい。
きちんと訓練をこなさないと調子が出ない、と言うほどだ。その生真面目さは尊敬に値する。
ディアッカも必要最低限の訓練はもちろんするものの、休暇のときには軍務のことは忘れたい。
…忘れられたためしなど、ほとんどないが。

「きちんと的を見ろ!腕を固定させろ動かすな!そんな照準では敵でなく味方を狙撃するぞ!!」
「…うーん…やっぱり実際の銃だと緊張して手元が」
「お前さぁ、MSだと百発百中なのに何で銃はダメなんだよ。しかもたかが訓練だぜ?」
「そうは言っても…」
「ストライクに乗ってた頃から軍人のはずだろう。それなのに素人みたいなこのへっぴり腰はなんだ!」
「あだっ。……いやでも、アークエンジェルに乗ってたときだって非常事態っていうか。一応軍人扱いだったけど、まともな訓練は受けたことなかったんだよ。その後だって結局は訓練してないし」

つまり戦時中はMS関連のことしかやってこなかった、ということなのだろう。
キラがアークエンジェルに乗りストライクに搭乗することになった経緯は聞いている。
完全に巻き込まれる形だったそうで、災難なんてレベルじゃねえなと同情したものである。
…自分たちザフトが襲撃したことが原因なのだから、同情できる立場ではないけれど。

「どんな経緯であろうと、現在はザフトに所属している身だ。言い訳は聞かん」
「………イザークってアスランと似てるよね」
「……何だと?」
「おいキラ、それ地雷」

ザフトの白服を身にまとった青年キラ・ヤマトは軍人とは思えない呑気な表情で。
あ、ごめん?とよく分かっていない様子で首を傾げた。反してイザークはふるふる震えている。

たまたま射撃訓練場で顔を合わせたキラのあまりの下手ぶりに、イザークが激昂したのが数分前だ。
現在はザフトの隊長職にある人間がこんな情けない様でどうする、と。
イザーク自身もキラと同じ白服であり、軍務経験は長い。攻撃的な性格とは裏腹に職務には真面目だ。
そんなイザークは文句を言いつつも先ほどからキラの訓練に付き合い、指導を続けているという状況。

(…俺、帰っていいかなぁ)

自分のノルマは終わったのだが、ここでイザークが帰してくれるはずもない。
せっかくの休憩時間はこれで終わってしまいそうだ、とディアッカは慣れた溜め息を吐き出した。

「俺とアスランのどこが似ているというんだ」
「優秀で真面目なとこ。あと面倒見のいいところ?昔、アスランにもよく怒られてたなって」
「こいつらに面倒見させるキラがすげえんだろ」
「え」
「……確かに、あまりに情けなくて視界に入るのも腹立たしいからな」
「ごめん。でもやっぱり、抵抗があるんだよね」

訓練用の銃を手の中で転がしながらキラが眉を下げる。
相変わらずこの青年のかもしだす雰囲気は軍人の厳しさとは無縁だ。
彼が二度にわたる大戦で伝説として語られたフリーダムのパイロット、と説明しても大抵の人間は信じられないに違いない。それぐらい、キラという人間は戦いとは無縁の空気をまとっている。
穏やかで柔らかい空気は彼の恋人であるラクス・クラインと共通する部分だ。
のほほんとしすぎて毒気が抜かれるところも同じ。

そして二人とも、その穏やかさの中に強い意志も秘めている。
抜き身の刃のような鋭さを不意に見せるから、それだけはちょっと怖いとディアッカは思っていた。

「嫌いなことから逃げていては、ラクス様を守ることなどできないだろう」
「………だよね。頑張る」
「本気出せばすぐできるようになんだろ。最高のコーディネイターなんだし?」
「どれだけすごい遺伝子を用意されても、本人の努力がないんじゃ意味がないっていう良い例だよね」
「怠慢を美化するな」
「はーい」

最高のコーディネイターとして生み出されたキラ。それは人類の夢を具現した存在。
…のはずだが、こうして一緒に過ごしていると天然なところもあるし緊張感がなさすぎる。
好き嫌いが激しいため、嫌いな分野に関してはナチュラルよりもひどいんじゃないかと思うことがある。
キラの言う通り、どれだけ大きな器を用意されようとも結局は本人の努力次第なのだ。







「というわけで、射撃のコツとかってある?」
『………いきなり話したいと言ってきたかと思えばそれか』

画面の向こうで親友がげんなりと肩を落とした。
ちょうど時間が空いたところだったらしいアスランは、話せる時間ある?というメールにすぐ応えてくれた。

「射撃もなんだけど、書類整理も苦手なんだよね」
『…まあお前には向いてないだろうな』
「なんとか慣れないと、とは思ってるんだけど」
『それだけ進歩じゃないか。昔は嫌なことはずっと先延ばしにして、最終的に俺にやらせてたお前が』
「うん、いまもシンとルナマリアが手伝ってくれてる」
『………進歩してなかったか。お前な、あのカガリですら書類と向き合ってるっていうのに』
「あ、カガリどう?元気?」
『元気だよ。最近じゃ随分と貫録が出て来た』

ニュースでカガリの姿を見かけることはあるが、こうしてアスランから近況を聞くとほっとする。
確かに元気そうではあったものの、あの双子の片割れは無茶をすることが多いから。

アスランの言葉通り、ニュースで見かけるカガリは落ち着きが増した。
静かな威厳のようなものも備えるようになってきて、ウズミの姿を彷彿とさせる。
きっと良い為政者になるのだろう。そのための一歩一歩を確実に踏んでいる。

「…僕だけ置いてかれてるなぁ、相変わらず」
『……あまり根を詰めるなよ』
「あれ、アスランがそんなこと言うの珍しい」
『傍にラクスがいるのなら心配していないが、いまはあまり一緒にいられないんだろう?』
「ラクスこそ忙しいからね。次に一緒に休めるのは……一週間後かな」

カレンダーを確認し、まだ一週間あるのかと頬杖をつく。
プラントだけでなく世界のために飛び回っている最愛の女性。
お互いに未来を描いて決めた道だ。その決定を覆そうとは思わない。
しかし、彼女に会いたいと思ったり寂しさを感じる心はまた別物なわけで。

『そこで不満げな顔をするな』
「だってさ。同じ国にいるはずなのに時間が取れないって辛いね。アスランとカガリもそうだった?」
『…まあ、俺の場合はオーブからすれば部外者でもあっただろうし』
「そりゃ色々悩むわけだよね。アスランの二の舞にならないようにしないと」
『おい』

親友の顔を見ていたら少し気分が落ち着いてきた気がする。
こうして愚痴や弱音を吐ける相手がいるのはありがたいことだ、とキラは微笑んだ。

「忙しいのにありがとう、アスラン。もうちょっと踏ん張ってみるよ」
『…何かあればメールしてくれ。すぐには返信できないかもしれないが、手伝える場合もある』
「うん。アスランこそ、あんまり根を詰め過ぎないようにね。カガリのこともよろしく」

きっともう二人は大丈夫だろうと思っているけれど。
人生というのはいつも山もあり谷もありで、問題が次から次へと襲ってくる。
それを乗り越える強さを少しずつ得てきたとは思うものの、疲れてしまうこともあるだろう。
カガリもアスランもひとよりずっと無理をしてしまうから、それだけが少し心配だ。

翡翠の瞳を瞬いた親友は、分かったと柔らかく笑って挨拶と共に通信を終える。
肩肘を張っていた彼も柔らかい空気をまとうことが増えた。これも成長の証なのかもしれない。

自分も何か成長できているだろうか、とつい他者と比べてしまう。
こうしたことが積み重なって人の世は諍いを生むのだが、きっとこれは仕方のないことで。
疲れたり心が弱くなったとき、どうしても自分と他人を比べて思考は沈んでいく。
それではいけないと考えれば考えるほど泥沼にはまってしまうのだ。

だからといって、その弱さに負けてはいけない。
負けない強さも持っていることをキラは仲間たちに教えられたのだから。







いつの間にか寝ていたらしい。
まどろんでいた思考がゆるやかに浮上し、自分の髪を撫でる手があることに気づいた。
ここはキラにあてがわれた部屋であり、出入りするのは部下がほとんど。
だからこんな風に自分の髪を撫でる者などいないはずなのに、と不思議に思う。

そして聞こえてきた小さな子守唄に、一気に覚醒した。

「…ラクス?」
「起こしてしまいましたか、すみません」
「いや、起こしてくれてよかったよ。どうしたの、なんでここに…」

いまキラが滞在しているのは行政の中心地であるアプリリウスだ。
ラクスが一番足を運ぶことの多いプラントではあるものの、宿泊施設に顔を出す機会はないはず。
ホテルのようなものだが自分のように位のある者や首脳陣が泊まることも多い施設。
そのため警備は厳重で、各部屋にはロックがしっかりとかけられている。

ピンクの丸い物体が視界の隅で跳ねているのが見えた。
…ロックはあれが外したのだろう。アスランは何を思ってそんな機能をハロにつけたのかいまだ謎だ。

「次の会談まで少々時間が空きましたので。そういえばキラもこちらにいらっしゃっているはずだ、と思い出して寄ってみましたの。お会いできてよかったですわ」
「……えーと……うん。ラクスひとり?」
「はい。あ、この階のエレベーターのところで護衛の方々は待機していただいてます」

ラクスを護衛するひとも大変だ、とキラは苦笑する。
彼女のこうした自由なところに救われていたりするのだけど。
シン曰く、あんたら二人とも同じレベルで自由ですよ、とのことだったが。

「まさかラクスに会えるとは思わなかった。一週間後まで我慢かな、って」
「キラに会いたくなってしまって」
「…うん、僕もラクスに会いたかった」

そっとラクスの滑らかに頬に手を伸ばすと、空色の瞳がふわりと細められた。
彼女が傍にいると花のような甘く優しい香りが鼻をかすめる。
特別な香水でも使っているのだろうか、といつも不思議に思う。
シャンプーは同じものを使っているはず。それとも彼女自身の香りなのだろうか。

沈んでいた思いがゆるやかに溶けていくような気がして、キラは知らず安堵の息を洩らした。
するとラクスがことりと首を傾げる。

「キラ。少しお疲れのようですわ」
「…うん、まあね。自分の至らなさにへこんでたとこ」
「そうでしたか」

自分よりもずっと頑張っているであろうラクスに弱音を吐くのは情けないけれど。
ひとりで抱え込んでも良い方向に行くことはあまりない、ということを経験上知っている。
そのためキラは情けないながらも隠すことはしなかった。

「軍人としての仕事って、基本的に向いてないんだよね。すごく面倒臭がりだから」
「ふふ」
「イザークもアスランも、シンやディアッカだってこなしてるのにさ」
「追う目標が沢山いて大変ですわね」
「…うん。周りのひと皆がすごく見えちゃうね」
「それだけ、キラの視野が広くなったということですわ。きっと」

頬に触れる手を優しく包みラクスが微笑む。

「手の届きそうな場所にあるから、追いつけないことが悔しくて情けなくなってしまうのかもしれません」
「……そうだね。もともと追うつもりのないものだったら、こんな風に悔しくはならないだろうし」
「追いつきたいと願う心があるのなら、きっと少しずつでも近づけます」
「だといいな」
「歩いている自分には分かりにくいですが、振り返ればきちんと進んできた道があるはず」

初めてザフトに入ったときと比べて、できることは増えたのではありませんか?と。
ラクスの言葉に促されて過去の自分を振り返る。
きちんとした軍務をこなしたことがなかったキラには何もかもが初めてで手さぐりだった。
それがいまは基本的な職務はなんとかこなせるようになってきている。問題点はあってもだ。

「進んで成長したからこそ、きっともっとを望むのでしょう。大丈夫、キラも歩いています」
「………ありがとう。自分の目標に疲れてばっかりで、情けないや」
「それは私も同じです。描く未来のように物事は進んでいかなくて、落胆ばかりの毎日です」
「それでもラクスは弱音を吐かないよね。…平気?無理してない?」

心配そうなキラの眼差しに、ラクスは素直に嬉しそうに笑みを綻ばせる。

「そうしてキラが気遣ってくださるから、大丈夫ですわ」
「うーん……僕ばっかり慰められてるような気がしてるんだけど」
「それぞれ必要とするもの、欲しい言葉、してほしいことは違いますもの。私は貴方がいて、声を聞いて、触れることができればそれだけで」
「………なんかすごいこと言われた気がする」

複雑そうな声でキラはラクスの細い身体を抱き寄せた。
少しだけ驚いたようだったが、彼女は抵抗することもなく身を委ねる。
感じる温もりと重みに愛しさを改めて感じ、キラは柔らかな髪を撫でながら目を閉じる。

確かに、こうして彼女を腕の中に感じるだけで心は満たされる。
もう少し頑張ってみよう、と思える。

「……ラクス、あとどのぐらいここにいられるの?」
「十分ほど」
「じゃあそれまで、こうしてていい?」
「はい」

長い道のりに疲れて歩くことをやめたくなることもある。
先を行くひとを羨んで、全てを投げ出してしまいたくなることだってある。

それは願いがあるからだ。欲しいものがあるから。

ひとはそうして願いのままに未来を切り開いてきた。
自分もラクスも、アスランやカガリ、他の皆だって同じ。

願いは未来と同じ。ひとが描き生み出していくもの。

綺麗ごとばかりじゃないけれど、辛いことや苦しいことも沢山あるけれど。
道の先に辿り着けることを信じて。自分が歩いてきた道のりを信じて。

愛しいひとが共に歩いてくれる幸せを噛みしめて、頑張ってみよう。












f i n ...