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彼らがいた日々 +++



「今日は僕たちの掃除当番なんですけど……」

シュミレーションが終わり、自室に戻ろうとしていた面々はニコルの言葉に振り返る。
みんな興味のなさそうな表情だ。

「掃除当番だったっけ?」
「そうですよラスティ、掃除当番です。大浴場の」
「めんどくさ…」

ディアッカの意見は誰もが思っていることだろうが、だからといってさぼるわけにはいかない。
ニコルは困った様子でアスランへ視線を投げかけた。
生来真面目なアスランは、すぐに口を開いてディアッカをたしなめる。

「共同で使っている場所なんだ、当番ならなおさらやらないとだろう」
「はいはい、そうでしたね」

いつものように肩をすくめて応じるディアッカに、アスランはわずかに眉を寄せる。
どうしてこう突っかかる言い方しかできないのだろうか。
やれやれと溜め息を吐いてニコルは大浴場へと向かうために歩き出した。

そういえばもう一人の問題児がおとなしいな、と不思議に思う。

「おい、どうしたイザーク」
「何がだ」

恐いもの知らずのラスティが果敢にもイザークに声をかける。
返ってきた声は、決して機嫌が良いと言えるものではなくて。
だが気にしていないのかラスティはなおも話しかける。

「何がって。今日は随分と静かだなって思っただけ」
「ふん」

鼻で笑ってイザークは背中を向けて歩いて行った。
嫌なことはさっさと終わらせるタイプだろうか。
まあイザークも、意外と真面目な性格をしているのだが。









「はい、デッキブラシです」
「あぁ」

ニコルに渡され、アスランは素直に受け取ってタイルを磨きはじめる。
無言で作業を進めていくのが、なんとも彼らしい。

「あれ、イザークやんないのか?」
「なぜ俺がわざわざやる必要がある。これだけ人数がいれば、十分だろう」

相変わらず偉そうな態度に、ラスティは苦笑している。
しかしそれでは当番の意味がないではないか。
そんな事を心の中だけでアスランは考えていた。

「そうですね、イザークにやってもらうと余計な仕事が増えそうですしね」

………………………………ニコル?

その場にいた面々が、最年少の少年から発せられた言葉に動きを止めた。
柔らかい笑顔は無邪気そのもので、悪意など全く感じさせない。
自分の幼馴染に似てるな、とアスランはぼやっと思った。

しかし言われたイザークはそれどころではない。
最初はやはり呆けていたが、言われたことが理解できるにつれて身体がぷるぷると震え始める。
強く握り締めた拳に、血管が浮いて見える。

「ニコル!どういう意味だ!」
「え?だってアスランと勝負だーとか言って、滅茶苦茶にしそうじゃないですか」
「貴様あああああぁぁぁ!!!」

顔を真っ赤にしてイザークが怒る。
その様子を遠巻きに眺めながら、ラスティは珍しいものを見るように笑った。

「イザークがニコルにキレるなんて珍しくない?」
「だな。だいたいは俺かアスランにだし」

自分で言ってて哀しくなったのか、ディアッカはデッキブラシに寄りかかりながら項垂れる。
その様子に同情から、ラスティは肩に手を置いてぽんぽん、と叩く。

「そこまで言うなら見ていろ!完璧に俺が掃除してやる!」
「本当ですか?」
「男に二言はない!」

そして力強くデッキブラシを握り、猛烈な勢いで床を掃除しはじめた。
その勢いは、プロの掃除屋でも目を瞠るものだ。

「おいイザーク、泡が跳んでるぞ」
「うるさいっ、貴様こそノロノロ磨くなっ」

結局口論になるのね、とディアッカは溜め息を吐く。
そしてその横にニコルがにこにこと笑いながら並んだ。

「これなら早く掃除終わりそうですね」
「………ニコル、お前もしかしてわざと?」
「何の事ですか?」

きょとん、と大きな瞳を瞬かせるニコルにディアッカは追求をやめる。
本当にこの少年はつかめない。
それまで黙って大浴場で起きることを観察していたラスティが、口を開いた。

「っていうか、俺たちもやらないとっしょ」
「でもよ、あいつらだけで終わりそうだぜ?」
「床は任せるとして……鏡でも磨きますか」

どんどん白熱していくイザークとアスランの戦い。
あまりにも不毛な争いに、すでにツッコむ気力もなくなったディアッカはニコルの提案に従うことにした。

「おいディアッカ、どこに行くつもりだ」
「どこって…他んとこ掃除しないとだろ」

そう答えると、あからさまに不機嫌そうな表情をされた。
俺にどーしろっての。
ディアッカの苦悩は、尽きることがない。







「お前ら終わったかー?」

しばらくしてから、金色の髪がひょこっと見えた。自分たちの先輩にあたる、ミゲルだ。

「ちょうど今終わりました」

爽やかな笑顔を浮かべてニコルが返事をする。
それに笑って頷いたミゲルは、ニコルの後ろに広がる光景に首を捻る。
そして隣で壁に寄りかかっているラスティに、素朴な疑問を投げかけた。

「あいつら、どしたんだ?」
「ははっ、はりきり過ぎただけ」

おかしそうに笑うラスティの視線の先には、生ける屍と化した三人がいた。
アスランとイザークは互いに一歩も譲らず、相手が倒れるまでやめないという消耗戦を繰り広げ、それに巻き込まれる形でディアッカも全ての力を使い果たしていた。

「本当に大人気ないですよね」
「仲良いよな」

自分の後輩にあたるメンバーのやり取りに、ミゲルはふと不安になった。
あんな虚ろな目をした仲間を見て、なぜそんな事が言えるのだろうか。
しかもほのぼのと、穏やかな空気で。

「おいお前ら、大丈夫か?」

恐る恐る声をかけると、ゆらりと三人が立ち上がる。
まるでホラー映画か何かのような様子に、ミゲルは思わず後ずさった。
これは関わらない方がいいかもしれない。
そう判断し、ミゲルはこの場から離れることにした。

「さ、さーて。そろそろ夕飯だ」
「そういえばそんな時間でしたね」
「俺、腹減った。働いた後はやっぱ食事だよね」

そしてミゲルの後についていく形で、ニコルとラスティは大浴場を後にする。
三人の足音が遠ざかっていくのを感じながら、乾いた声でディアッカがうめいた。

「働いたのは………俺たちだってーの……」





そしてその後、みんなの入浴時間になり。
あまりにも徹底的に磨きすぎたタイルは、いつも以上に滑りやすくなっていて。

大浴場に足を運んだ者のほとんどが滑って転ぶ、というのが名物になったのは言うまでもない。




fin...