+++ 飛 翔 +++
11.偽りの偶像 スカンジナビア王国にあるフィヨルドの底に船体を潜ませ、アークエンジェルクルーは情報集めにいそしんでいた。キラもその能力を使って情報収集を手伝っていたのだが、数日もしてくると、彼の額には眉間の皺が定着し始めていく。 そのことに気づいて引きつった表情で作業を続けるノイマンとチャンドラ。 バルトフェルドへと向ける視線には、助けてくれという必死な思いがこめられている。 「………はあ、おいキラ。少し休憩してこい」 「…え、でも」 「そんな仏頂面されちゃ、周りが怯えるだろう。ま、気持ちはわからんでもないがねぇ」 怖がりもせずに揶揄する砂漠の虎に、他のクルーたちはひえぇと背筋を凍らせた。 だがキラも彼のこういった態度には慣れているため、怒ることもなくふうと肩を落としただけ。 「分かりました。お言葉に甘えます」 「あぁ。そうそう、食堂に僕が入れたコーヒーがあるから、飲んでみるといい」 「え?」 「新しくブレンドしたヤツだ。ぜひ感想を聞かせてくれたまえ?」 彼が手にしているマグカップにはそれが入っているらしく、満足気に笑ってカップを揺らす。 あんまりコーヒーが好きではないキラとしては、どう返答すればいいのか迷ってしまう。 だがとりあえず頷いて、そのまま艦橋を後にした。確かに気分転換した方がよさそうだ、と肩を回して。そんな自分が出て行った後のブリッジのメンバーが、どっと安堵の息を吐いていたことも知らず。 彼の姿が完全に見えなくなって、ぐったりとチャンドラが口を開いた。 「相当怒ってたな、ヤマトのやつ」 「あぁ…。無言の圧力がすごかった」 「若いねえ。まあ、こんな映像見せられちゃ、仕方ないかもしれんが」 バルトフェルドが指したモニターでは、ピンクの髪を持つ少女がくるくるとステージで踊っている。 愛らしい笑顔は自分たちのよく知る少女にそっくりで。けれど仕草や紡ぐ言葉、そして何よりまとう空気が全く違う。ラクス・クラインが歌姫であるなら、画面の中にいる少女はアイドル、といった感じだ。 「ラクスもアイドルとして人気はあったが、こういうイメージじゃなかったしねぇ」 「あ、やっぱりそうなんですか。俺たちプラントで彼女がどんなだったかは知らないので…」 「ひょっとしてこんなことしてたのかと、びっくりしましたよ」 「はっはっは、それならファンも喜んだかもしれんが。ラクスの目指すものとは少し違う」 「…ですよね」 「……っていうか、すごい衣装だよな」 「ヤマト、これ凝視してたよな」 「あぁ。最初は唖然としてたかと思ったら、だんだん目つきが鋭くなって…」 「うあああ、考えただけで鳥肌がっ…!」 いったい何の意図があってプラントでこんなことが行われているのか知らないが、あのキラを怒らせるようなことはしないでほしい、切実に。穏やかな人物だから、自分たちに危害を加えるようなことは絶対にないと信頼できるけれど。それでも十分に不機嫌なオーラだけで被害をこうむっている。 疲れた表情で作業を再開するクルーたちに、バルトフェルドはまたひとつ、笑った。 なんとなく食堂にも行く気分にならなかったキラは、そのまま自室に戻っていた。 バルトフェルドが休憩してこいと言っていた理由は分かる。自分が苛々しているからだろう。 頭では理解できても、心までも納得してくれるわけではない。 「よりによって、なんであんな……」 プラントの住人にとって、ラクスという存在が大きいのはよく分かる。自分だって彼女に何度救われたか分からない。だから彼女の名を借りて、人々を説得させようとする方法は、嫌なことだが有効だ。その辺りは釈然としないが理解はできる。けれど。 画面の中にいるラクスと呼ばれている少女は、演説のとき以外の言動があまりに本物と違う。 無邪気に歌い踊る姿は確かに愛らしいのかもしれない。だが、キラからすれば不快に思えてしまって。 ザフト兵を応援するかのような言葉まで飛び出した日には、愕然としてしまったものだ。 それに何より。 「あの衣装は……ないよね……。うん、ない…」 元のラクスの公式服からイメージしているのだろうけれど。際どい部分が露出している衣装に、見た瞬間には頭が真っ白になったものだ。惜しげもなく晒される細い足や、強調されている豊満な胸。清楚、という言葉が似合うラクスのイメージとは随分かけ離れている。 それに対して、ザフト兵が何の疑いも持っていないことにも驚きなのだが。 「はあー………」 「あらあら、大きな溜め息ですわ」 「っ!?」 「キラは休憩中ですか?」 「ラ、ラクス!?」 「はい」 気がつかないうちに部屋に入ってきていたらしい少女に、キラはわたわたと顔を上げる。 「ど、どうしたの?」 「ブリッジに参りましたら、キラは休憩されたと聞きましたので。いま、よろしいですか?」 「う、うん」 「この子を、ちょっと見ていただきたいんですの」 「……ハロ?」 ラクスが差し出してきたのは、彼女がいつも連れているピンクのハロ。 コーディネイターに襲撃されたときにも、かなり活躍してくれたマイクロロボットだ。 「あの襲撃のときに、何度か強い衝撃を受けてしまったようですから。気になって」 「あ、そっか。わかった、ちょっとメンテしてみるよ」 「ありがとうございます」 ベッドの上にハロを置いて、工具セットを取り出す。自分もベッドに腰を下ろすと、ハロを挟んで反対側にラクスが腰掛けた。作業の邪魔にならないようにと上着を脱いでインナーの袖をまくる。そこでふと気づいた。ラクスも上着を着ていない。 白く細い肩が見える状態に、急に緊張してきてしまった。いまさら、という感じなのに。 「あれ、ラクス上着は?」 「先ほどカガリさんと料理をしてまして、その間に脱いでしまいました」 「カガリと?」 「はい、マリューさんもご一緒に。ふふ、お昼ご飯、楽しみにしていてくださいな」 「うん」 潜伏生活が続くが、それなりに楽しんでいるようだと女性のたくましさを感じる。 ハロの回線をチェックしながら、やはり自分は目の前にいるラクスがいいな、と思う。 穏やかな優しさを持ち、深い洞察力と思慮を備えた少女。 凛とした強さと輝きが、自分は好きで。 「カガリさん…お辛そうですわ」 「え?」 「動くべきだと分かってはいるのに、どう動けばいいのか分からない。その状況は、とても辛いですから。特にカガリさんは国を大切に思っていますし」 「あぁ…うん。だんだんと焦ってきちゃうよね。そっか、だから皆で料理を?」 「少しでも気分転換になれば、と思ったものですから」 「うん」 先日もアークエンジェルのメンバーで話し合ったが、現状のままでは動くことができないと結論が出た。いま手にしている情報はあまりに少ない。先日のラクスが襲撃された件もそうだが、プラントにいるラクス・クラインの存在。 単純に世界の情勢だけを見れば、無茶な理由で開戦に踏み切った連合が悪い。 それに対してプラントはかなり理性的に対処している。報復活動にも出ていない。核を使われたというのに、そう行動できるのはすごいことだろう。コーディネイターにとって、血のバレンタインというのは記憶に新しいからだ。それにヤキン戦でのこともある。 だが怒るプラント市民をなだめたデュランダル議長の手腕はすごい。例えそこに、あのラクス・クラインがいたとしてもだ。二人の言葉のおかげで、戦争が拡大しなかったのは事実。 だがキラにとって、いま一番重要なのは。 誰がラクスを殺そうとしたかということ。 「うん、大丈夫。ハロは元気そうだよ」 「よかった。ありがとうございます、キラ」 よかったですねピンクちゃん、と指でちょんと突っついてハロに笑いかけるラクス。 自分に安らぎと温かさを与えてくれる彼女を、いったい誰が排除しようとしているのだろう。 あのときの感覚を思い出すだけで、胸が冷えていくようだった。 もう二度と、大切なひとは失いたくない。 だからそれがはっきりするまで、下手に動くことは出来ないのだ。 そう思考に沈んでいると、ふわりと髪を撫でられてキラは顔を上げる。 「難しいことをお考えですわね?」 「あ、いや、そういうわけじゃ…」 「キラ、ひとりで抱え込んではいけませんわ。ここには皆さんがいます、カガリさんや私も」 「…うん、わかってる」 「キラが私のことを案じてくださっているのは嬉しいですわ。けれど、そのせいでキラが苦しい思いをするのも、私は辛いのです」 「ラクス……」 「ですからせめて、半分を預けてくださいな」 空色の瞳が楽しげに輝く。そうしてもらえた方が嬉しいのだというように。 いつもこうやって、ラクスの言葉はすとんと自分の胸に落ちてくる。そのことが不思議だ。 惜しみなく注いでくれる優しさに、キラは笑みを浮かべてラクスの手をとった。 「ありがとう、ラクス。ラクスの辛さも、半分くれる?」 「よろしいのですか?」 「当たり前だよ。僕だけが頼ってちゃ、カッコ悪いし…」 「まあ、そんなことありませんわ。キラは、とっても素敵な殿方ですもの」 「え」 「私のことを守ってくださる、一番のナイトですから。ね、ピンクちゃん?」 <ミトメタクナイ!> 「あらあら、ヤキモチはいけませんよ」 <ハロハロ!> ハロとラクスが戯れはじめる横で、キラは自分の頬が一気に熱を帯びていくのを感じる。 当然のことのように彼女はこういうことを言ってくれるから、いつも動揺させられてばかりだ。 「あ、二人ともここにいたのか!」 「カガリ?」 「もう昼だぞ。せっかく私たちが作ったんだから、ありがたく食べろよな」 「ふふ、では参りましょうかキラ。新作のコーヒーもあることですし」 「あぁ…あれか」 飲めるのかな僕に、と肩を落とすキラの手を引いてラクスが歩き出す。 早くしろよ、と歩き出すカガリはいつもと変わりなく見えるのは、ラクスとマリューのおかげなのだろう。 ここにいる仲間たちは本当に温かい。だから守りたいと思えるのだ。 改めてそう思って、キラは目を閉じる。 もうひとつの不安には蓋をして。 自分に出来ることを、とプラントへ飛び立った親友。 彼からの音沙汰がないことが、胸の中に少しずつ不安を広げていた。 力がないことを嘆き、道が見つからないと苦しんでいた彼。 そんな彼が再び傷つくような選択をしていないといい、と思う。 だが自分たちを置いて刻々と変わっていく世界。 それらに飲み込まれないようにと、引き止めようと考えるとき。 ひとが望むことは限られてくる。 そのときひとは。 やはり力を求めるのではないだろうか。 大切なひとを守るために、再び剣をとった自分のように。 ねえ、アスラン。君はいま、何を思ってこの世界に立っている? そしてどこを目指して、駆けているの? NEXT⇒◆ |