+++ 飛 翔 +++
26.幻想の記憶 「まだ眠ってるんですか?」 医務室に入ったキラを迎えたのは、マリューとマードックだった。 それぞれに複雑な表情を浮かべながら、横たわる男を見つめている。 「ええ。手当てのときに一度、目を開けて……自分は連合軍第八十一独立機動群所属、ネオ・ロアノーク大佐だと名乗ったそうだけど」 淡々と事実を告げるマリューの声はひどく無機質で、彼女の中でもまだ混乱が続いているのだろうと分かった。そして与えられた情報に、キラもアメジストの瞳を眇める。 ネオ・ロアノーク。それはいったい誰の名なのだと。 「……でも、検査で出た生体データは、この艦のデーターベースにあったものと百パーセント一致したわ。この人は、ムウ・ラ・フラガよ。いわば……肉体的には」 データを照合するまでもなく、分かってはいた。 ましてマリューにとっては愛するひとだ、きっと心が彼がムウであると叫んでいるに違いない。とうに失ったと思っていた存在が、いま目の前にある。けれど。 いま横たわる男は、ムウではなくネオ・ロアノークと名乗った。 これが意味するものはいったい。 もどかしく思う自分たちを代弁するように、マードックが口を開いた。 「だから、どォいうコトだよォ?つまり、少佐なんだろ、これは?」 「ええ、それは間違いないんですが…」 「…やれやれ、いつ少佐になったんだ俺は?」 「…っ…!?」 聞こえてきた飄々とした声は、何も変わらない。 常に傍にあった男の声に、マリューは思わず飛び上がった。そのはずみで椅子が倒れるが、派手な音を立てるそれに気づくこともできない。どこかからかうようなその声を、最初はいつも撥ね退けて。けれどその言葉が自分に力を与えてくれているのだと、そう思うようになった日々が思い出される。 拘束されている状態に眉を顰めながら、身体を起こす男。 確かに生きている。生きて動いて話して。そう思うだけで、目には涙が溢れた。 「大佐だと言っただろうが、ちゃんと!捕虜だからって、勝手に降格するなよ」 マードックの言葉に反論する声に、溢れる涙が止まらない。 どうして生きているのだろう。自分たちの目の前で散ったはずなのに。 生きていて、なぜこうして敵として巡り合わなければならなかったのだ。 様々な疑問が頭の中を渦巻くが、マリューの胸に去来するものは結局ひとつ。 ムウが、生きていた。 混乱や戸惑いの中に、確かに喜びがある。 けれど涙を滲ませながら自分を見やる姿に、ムウであるはずの男は不思議そうな表情で。 「なんだよ……?一目惚れでもした、美人さん?」 自分を知らないのだと、その一言で突きつけられた。 ここに彼はいるのに。けれど何も覚えていない。ムウなのに、ムウではない。 その事実を受け止めることができず、マリューは医務室を飛び出していく。 「ムウさんっ!」 思わずキラが声を荒げると、ベッドの上の男は眉をひそめる。 「何だよ、ムウって?」 本当に分からない、といった表情にキラは言葉を飲み込む。 ムウ、いやネオ・ロアノークも混乱を感じているようだった。そしてキラも、少なからず衝撃を受けている。 先の大戦では自分たちを励まし、いつも気にかけてくれていた。 からかうような仕草や表情、言葉がどれだけ艦の空気を明るくしていたことだろう。荒んでいく自分の心を、いつも見守り、ときに心配して気遣ってくれていた。そのことを感謝したら、俺は何もしてないぜ?とそらっとぼけるだろうから、何も言わなかったけれど。 共に戦いを終わらせるために戦場に身を投じた。それまでいた陣営を棄てて。 なのにいま、彼はまた連合の制服をまとって現れたのだ。 知らない名前と、聞き覚えのない所属場所を携えて。 自分たちも混乱しているのを自覚していたため、キラはマードックと共に医務室を出た。すると廊下の壁にもたれ、嗚咽を漏らしているマリューを発見する。 駆け寄ろうかとも思ったが、自分たちよりも先に通りかかったミリアリアがマリューの傍へ向かっていた。彼女の方が色々な意味で適任かもしれない、とキラは足を止める。 「……記憶が、ねえのか?」 「ないっていうか……違ってるみたいですね」 もし記憶を失っている状態なら、自分たちの反応を見て何かを察するだろう。欠けた記憶を知る者たちが目の前にいるのだと。 けれど彼の反応は、まったく見知らぬ他人のようなもので。自分の所属する場所や名前に疑問を持つ様子もなく、確信ありげな態度だった。つまりは、別の記憶を持っている。 「…確かにそうじゃなきゃ、地球軍にいるはずなんかないでしょうけど……」 一度は脱走した地球連合軍に、何事もなかったかのように復帰している。 そのことがすでに妙だ。別人の軍籍を有しているとなれば、話は別だが。 ネオ・ロアノーク大佐。それが現在の彼。 「でも……あれはムウさんなんです。だから、僕は…」 「…まあなァ」 戦場で感じたあの感覚は、自分に近しいものの存在を教えていた。 ムウに感じるものであり、かつて世界を憎んだあの男に感じたものでもある。 だからもしやと思ってマリューに撃墜した機体の確認を頼んだのだが、まさかこうなるとは予想できなかった。 マードックもいまだに整理ができない様子で、頭をかいて溜め息を吐く。 「けど、記憶がねえんじゃ……かえって酷かもしんねえぜ、艦長にはよ」 その言葉が、キラの胸に重く圧し掛かる。 生きていてくれたことは嬉しい。それはきっと、マリューや仲間たちの総意だ。けれどここにいるのはムウであって、ムウではない。別人の記憶と人格を持つ者だ。 自分たちと会ったことすら記憶の中にない。何もかもがまっさらな状態で。 すでに廊下から去ったマリューの背中を思い出し、キラもまた溜め息をこぼす。 やはり失ったものは、もう取り戻せないのだろうかと。 「おい、キラ!」 「カガリ?」 「どこにいったのかと思ったぞ」 「ごめん、ちょっと磨耗してるパーツがあって。マードックさんはムラサメの調整もあるし…」 「って、いまはそれはいい!艦橋に来い、早く!」 整備を終えて格納庫から出たキラに、カガリが慌てた様子で腕をつかむ。 いったいどうしたのかと目を丸くするが、それ以上の説明をする時間ももどかしい、というかのようにずるずる引きずられていく。 そうして艦橋に入ると、モニターにプラントの最高評議会議長が映し出されており息を呑んだ。 <みなさん、私はプラント最高評議会議長、ギルバート・デュランダルです> ミリアリアの話によると、どうやら突然回線に割り込むような形でこの放送が流れ出したのだという。あらゆるメディアを通し、全世界へ発信されているとのことで、いったいデュランダルは何をしようとしているのかと眉を寄せる。 <我らプラントと地球の方々との戦争状態が解決しておらぬなか、突然このようなメッセージをお送りすることをお許しください。ですが、お願いです……どうか、聞いていただきたいのです> 沈痛な表情を浮かべ、デュランダルはこちらに目を向けた。 <私はいまこそ、みなさんに知っていただきたい。こうしていまだ戦火のおさまらぬ理由。そもそも、またもこのような戦争状態に陥ってしまった、本当の理由を> 戦いの理由。 その言葉にキラの背筋を不穏なものが撫で上げる。 全世界に向けて、それを話そうというデュランダル。 なぜか、嫌な予感しかしない、と自然とキラは拳を握った。 <各国の政策に基づく情報の有無により、いまだご存知ない方も、多くいらっしゃることでしょう。これは、過日、ユーラシア中央から西側地域の都市へ向け、連合の新型巨大兵器が侵攻したときの様子です> モニターが切り替わり、先日のベルリンでの戦いの映像が映し出される。 黒々とそそり立つ巨大モビルアーマーの姿に、キラは思わず目を細めて痛ましげな表情を浮べた。燃えさかる都市を背景に、禍々しく立つ姿は悪の権化にも思える。 けれどあの機体に乗っていた者を大切に思うひとがいて、守りたいと願うひとがいた。 しかし映し出されるのは、ザフトのモビルスーツを玩具のように踏み潰し、建物を薙ぎ払って侵攻していく姿。まさに巨大兵器であり、それは圧倒的な圧迫感と脅威を見る者に与えた。 <この巨大兵器は、何の勧告もなしに突如、攻撃を始め、逃げる間もない住民ごと三都市を焼き払い、なおも侵攻しました。我々は、すぐさまこれの阻止と防衛戦を行いましたが……残念ながら、多くの犠牲を出す結果となりました> そして今度は巨大モビルスーツと戦うインパルスの姿が映る。 そこで違和感を覚えたのは、キラとミリアリアだった。 <侵攻したのは地球軍。されたのは地球の都市です。なぜこんなことになったのか?連合側の目的は、『ザフト支配からの地域の解放』ということですが……これが解放なのでしょうか?こうして住民を都市ごと焼き払うことが!?> インパルスが果敢に巨大な敵に立ち向かう姿は、まさにヒーローのよう。 けれどそこに共にいたはずの存在が、映し出されていない。 そう、フリーダムの姿が映りこんでいないのだ。 映っているシーンをカットしているのかとも思ったが、多分違う。 恐らくCG処理によって消されているのだ。だが、なぜそこまでして。 デュランダルの意図が分からず、キラとミリアリアは顔を見合わせてしまった。そして遅れてカガリやマリューらも映像の違和感に気づく。 これはいったいどういうことか。 そう疑問に思う間にも、デュランダルの言葉は続く。 <確かに我々の軍は、連合のやり方に異を唱え、その同盟国であるユーラシアからの分離、独立を果たそうとする人々を、人道的な立場からも支援してきました。こんな得るもののない、ただ戦うばかりの日々に終わりを告げ、自分たちの平和な暮らしを取り戻したいと…戦場になど行かず、ただ愛する者たちと共にありたいと……そう願う人々を、我々は支援しました> また映像が切り替わり、戦いが終わった後の都市が映し出される。 遺体を運び出す兵士たちや、母を求めて泣きながら叫ぶ幼い子供。広がる瓦礫になった都市。 戦火を逃れたらしい女性が、悲しみと怒りを顔に宿して画面越しに訴える。 <あの連合のバケモノが、なにもかも焼き払っていったのよ…!> <敵は連合だ!ザフトは助けてくれた!嘘だと思うなら、見に来てくれ!> 市民がカメラに向かって叫ぶ。 そして再び映像はデュランダルへと戻った。 <なのに、和平を望む我々の手をはねのけ、我々と手を取り合い、憎しみで撃ちあう世界よりも、対話による平和への路を選ぼうとしたユーラシア西側の人々を、連合は裏切りとして、有無を言わさず焼き払ったのです!子供まで!> プラントの議長は怒りの仕草で、デスクを殴りつけ立ち上がる。 <なぜですか?なぜ、こんなことをするのです!平和など許さぬと、戦わねばならないと、誰が、なぜ言うのです?なぜ、我々は手を取りあってはいけないのですか?> 珍しく声を荒げるデュランダルに、キラの意識は越えてきた戦いの記憶を辿る。なぜ、どうして、そんな問いをいったい何度繰り返しただろう。 どうして僕が戦わなければならない、なぜ君と戦わなければいけないのだと、そう何度も何度も。きっと戦争に飲み込まれた人々も、同じだ。なぜ手を取りあうことが出来ないのだと。 思考の波に沈みそうになるキラの視界に、ピンク色の何かが入る。 はっと顔を上げると、激昂したデュランダルをなだめるように『プラントのラクス・クライン』が寄り添っていた。そして今度は彼女がカメラに向き直り、涼やかな声を響かせる。 <このたびの戦争は、たしかに私どもコーディネイターの一部の者たちが起こした、大きな惨劇から始まりました。それを止め得なかったこと…それによって生まれてしまった数多の悲劇を、私どもも忘れはしません> この言葉が、ラクスとして人々に広がっていく。 そのことがキラにはどうしようもなく受け入れがたく、表情は険しいものになってしまう。 いったい彼女は、ラクスの存在を借りて、何を訴えようとしているのだと。 NEXT⇒◆ |