+++ 飛 翔 +++


38.波紋ひとつ













アスランの意識が戻った、と聞いてキラはラクスと共に部屋に顔を出した。
すると丁度じたばたと彼がもがいているところで、メイリンが「大丈夫ですか?」と駆け寄る姿が見られた。やれやれと苦笑しながらキラは一歩足を踏み入れる。

「って言わない方がいいよ、アスランには」
「え?」
「絶対<大丈夫>って言うから」
「そうですわね」

隣に並ぶラクスすらも微笑を浮かべて頷く。
それを受けて、メイリンはやや驚きながら「あ……はい」と素直に応じた。
しかし納得できないのはアスランである。
憮然とした表情で、ベッドの上で唸った。

「…………本当に大丈夫だ」

そうは言っても身体を動かすたびに眉を顰めている。
子供の頃から自分を叱ってばかりのアスランだったが、彼だってすごく無茶をする。
ひとのこと叱れないよね、と心の中だけでキラは漏らした。
言葉にしようものならそれこそ不機嫌になられてしまうと分かっているから。
それはそれで面白いかもしれないけど、と考えられるぐらいには、アスランの容体は安定している。

「でも、よかった。またこうして、君と話せる日が来て」

横たわるアスランの傍まで歩み寄り、素直な気持ちを告げる。
戦場にある自分たちは、ただでさえいつ死んでしまうかも分からない。
その上、しょっちゅう意見がぶつかって違う道を選んですれ違って。

「平和なときは、当たり前ですぐ忘れちゃうけど……そういうの、ホントはとても幸せなことだって」
「キラ……」

一緒に過ごせることはもちろん、喧嘩して想いをぶつけ合うことだって。
そうすることができる相手がいることは、幸せで何よりも尊いものであることを。
自分たちはその小さな奇跡を、すぐに見失ってしまう。
いまここにある温かいものを共に感じられる。
部屋に流れる沈黙は心地よく、ゆったりと優しく室内を満たしていくように感じられた。

ふと時計に目をやったキラが瞬き、口を開く。

「テレビ、つけていい?カガリが声明を出すんだ」
「え?ああ…」

唐突な言葉にアスランは戸惑うものの、頷く。
テレビをつけながら、声明の目的をキラは説明した。

「とりあえず意志を示す。あとは、それからだって」

そうして映し出されたモニターには、決然とした表情のカガリが座していた。












オーブ連合首長国代表首長カガリ・ユラ・アスハとして。
メディアを通して宣言されるカガリの言葉には、もう迷いというものはなかった。
デュランダル議長への言葉を紡ぐ彼女の声は落ち着いていて、明瞭。
代表として迷い悩んでいた姿は微塵もなく、それに頼もしさと同時にほんの少しの寂しさも感じる。

<過日、さまざまな情報とともに我々に送られた、ロゴスに関するデュランダル議長のメッセージは、確かに衝撃的なものでした。ロゴスを討つ。そして、戦争のない世界に…という議長の言葉は、いまのこの混迷の世界で、政治に携わる者としても、また生きる一個人としても、確かに魅力を感じざるを得ません>

ですが、と続くカガリの言葉がノイズに呑まれる。
画像が乱れたかと思うと、次の瞬間には割り込むようにして別の画面が映し出されていた。
そこにいたのは、ピンクの髪を揺らした見慣れた顔。
よく似ているようで違う。その姿に、アスランとメイリンは息を呑んだ。
そしてラクスは相変わらずの落ち着いた表情のまま、隣のキラにそっと寄り添う。

<私はラクス・クラインです>

やはり動いてきたか、と眉を寄せるキラにラクスがあえやかな声を向けた。

「ではキラ、私も参りますわ」
「そうだね」
「え?キラ、見ないのか?」

部屋を出ていこうとする二人に、アスランが驚いた声で呼び止める。
すぐ分かるよ、と笑ってキラはラクスと共に医務室を出た。
少しだけ急ぎ足で格納庫へと向かい、手早くフリーダムを起動させる。
そして向かう先は、カガリがいま放送を流しているはずのオーブ行政府だ。

建物の前に降り立つと、すでにカガリが手配していたらしく中へと案内される。
撮影機材が集まる部屋は異様な緊張感に包まれており、キラはやや気後れしてしまった。

しかしラクスはいつも通りの静かな表情で。
躊躇うことなく奥へと進み、カガリの座る机へと歩み寄っていく。
少女二人が並ぶ間も、プラントにいるラクスの言葉は続けられていた。
切実に放たれるこの声が、偽りのものであるなどと誰が想像するだろう。
だが、本来のラクスはいまここにいる。

一度だけ、ラクスは目を閉じた。
それは迷いを断ち切るようでもあったし、祈るようでもあって。

<私たちの世界に、誘惑は数多くあります。よりよきものを、多くのものをと望むことは、無論悪いことではありません>

議長のラクスの言葉が流れる中、そっと顔を上げた歌姫の瞳はひどく澄んでいて。
機材を扱う者たちへと小さく頷いてみせた。そして映像が調整されていく。

<ですが!ロゴスは別です。あれは、あってはならないもの。この人の世に不要で、邪悪なものです。私たちはそれを>
「その方の姿に、惑わされないで下さい」

マイクが繋がったとの合図と同時に、するりと言葉を押し留める柔らかな声。
涼やかな声と、凛とした眼差し、かすかに口元に浮かぶ柔らかな笑み。
おっとりと微笑んだ彼女は、カガリの隣で静かに告げた。

「私は、ラクス・クラインです」

全世界の前に、二人のラクスが存在することを知らしめるために。










「私と同じ顔、同じ声、同じ名の方が、デュランダル議長と共にいらっしゃることは知っています。……ですが、私、シーゲル・クラインの娘であり、先の大戦ではアークエンジェルと共に戦いました私は、いまもあのときと同じに、かの艦とオーブのアスハ代表のもとにおります」

ラクスの言葉は、強い抑揚を持つものではない。
彼女はいつだって他者を力で変えようとはしせず、ただ問うからだ。
あなたは何をしたいのか、何を望んでいるのかと。
こうするべきだ、ああするべきだと、そうした答えを突きつけることはない。
だからこそ、議長のラクスに対してキラは複雑な思いを感じていた。

ラクス、という存在は先の大戦を通して伝説にも近いものになっていて。
彼女の発言には大きな力があり、多くの者を動かすものとなる。
だからこそ、ラクスは他者を動かすような発言をしようとはせず、それは歌姫であった頃から同じ。

ただ自分の想いを、伝えたい願いを、歌にのせてきた。
そんな彼女のやり方を捻じ曲げるような議長の手法には、最初から違和感を覚えていて。
他のことにしてもそうだ。議長は見えない場所で、人々をどこかへ誘導しているように思える。
いったいどこへ向かおうとしているのか、その先に何があるのかは、分からない。
だけど、嫌な予感はする。

「彼女と私は違う者であり、その思いも違うということを、まずは申し上げたいと思います」

涼やかな声は、はっきりと意思を告げた。

「私はデュランダル議長の言葉と行動を、支持しておりません」

ラクスの明確な拒絶に、画面に映し出されていた議長のラクスが動揺を見せる。
絶句した彼女の手には原稿が握られているのが分かり、それは全世界に配信されてしまっている。
二人のラクスが同じ画面にいる。だからこそ、その違いが歴然とする。
デュランダルもそう思ったのだろう、それほど時間を置かずにあちらのラクスの姿は画面から消えた。

そうしてただひとり、モニターに映し出された少女は昔から変わらない笑顔で。
優しさと、どこか厳しさも同時に感じさせるような眼差しで語りかける。

「戦う者は悪くない。戦わない者も悪くない。…悪いのは全て、戦わせようとする者、死の商人<ロゴス>。議長のおっしゃるそれは、本当でしょうか?それが真実なのでしょうか?」

私にはそうは思えません、と淡々と紡がれる言葉。
全ての原因である悪はそこにいる。そう指摘されることによって、ひとは安堵を覚える。
戦争だってそうだ。悪いのはナチュラル、悪いのはコーディネイター。互いがそう考え武器を手にとり、正義の名のもとに命を奪い合ってきた。その相手が変わっただけにすぎない。

「ナチュラルでもない。コーディネイターでもない。悪いのは彼ら、世界。……あなたではないのだと語られる言葉の罠に、どうか陥らないで下さい」

望んで戦う者などほとんどいない。
誰もが護りたいものがあって、奪われた悲しみがあって、そうして戦ってしまう。
戦争なんてなくなってほしいと願うのに、戦いは繰り返される。
自分は正しいのか、間違っているのではないか。
そんな風に苦しむ夜を、キラも何度も何度も越えて、いまだって迷って。

悪いのは自分ではなくロゴスなのだと、そう信じられれば楽になる気持ちも分かる。
もう考えなくていい。悪はそこにあると、決まっているのだから。
武器を手にとることに迷いもなくなる。だって、ロゴスが悪いのだから。

そうして何も考えず戦う。まるで駒のように。
だがそれでは、本当に求めていたものからはどんどん遠ざかっていくように思える。
全てに蓋をして、目を閉じて、耳を塞いで。ただ逃げているだけのように。
………その道の方が、はるかに楽であることも、分かってはいるのだけれど。

「無論私は、ジブリール氏をかばう者ではありません。ですが、デュランダル議長を信じる者でもありません。我々はもっとよく知らねばなりません。デュランダル議長の、真の目的を」

知らず知ろうともせず、そうして進み続けた先にあったものを自分たちは先の大戦で見てきた。
諦めてはいけない。感情をただ叩きつけるだけでは、何も終わらない。
もし一度壊してしまったのなら、二度とそれは取り戻せないのだから。

戦いを終わらせたいという願いはきっと皆同じ。

ならば、手を取り合うことができるはず。

そのためには、思い出さなければならないのだ。
ひとりひとりが胸に抱いていた願いは、何であったかを。












オーブ代表の放送が終わり、ザフト軍には動揺が走っていた。
これまで信じてきたラクス・クラインが偽物かもしれないという事実に。

とりあえず部下を大人しくさせてから部屋に戻ったイザークは、不機嫌さを隠しもしない。どかりと椅子に背中を預ける上司に、ディアッカはなんと言ったらいいものかと頭をかいた。
先ほどの放送は自分たちにも衝撃を与えたのである。
アスランが再びザフトから追われた、という情報も入ってきている。

「………どう思う?」
「何がだ」
「さっきの」
「知るか、俺に聞くな」
「アスランはこれ、知ってて議長と袂を分かったってことか?」
「……あいつの話をするな。知ってたなら、そもそもなぜ偽物の登場を許した」
「だよな。…ま、偽物って言われた方が納得。あのラクス・クラインがああいう恰好するのは違和感あったし、キラがあの衣裳許すとは思えないもんなぁ」
「………………」

イザークの眉間の皺がどんどん深まり、しまいには唸り声まで発し始めた。
あ、これヤバイ。そう気づいて口を噤むものの、ここまできたらどうしようもない。

自分たちがこうして軍服に袖を通し、プラントを守るために戦えているのは議長のおかげだ。
銃殺刑に処されてもおかしくなかった命を拾ってくれたのも、デュランダルである。
彼の戦争のない世界をと望む声にも賛同してきた。
だが、小さな小さな違和感は降り積もり、いまでは大きな波紋を呼んでいる。

アスランがザフトから抜けたということは、何かがあったと考えていいだろう。
堅物のあの男はイザークと同じぐらい真面目で、正しいことをしようと考えている。
そしてラクス・クライン。彼女が静かに投げかけた問いは。

『隊長、よろしいでしょうか』
「…シホか。入れ」

許可を待って部屋に入ってきた少女は、やや表情を強張らせている。
ジュール隊に所属するベテランエースであり、先の大戦から共に戦い抜いてきた戦友。
いつもは毅然としているシホなのだが、やはりあの放送が影響しているのだろうか。
少しだけ迷うように切れ長の眼差しの中、瞳が揺れているようだった。

「隊長、あの」
「……先ほどの放送の件なら、俺から言えることはない」
「………はい」
「だが、戦う目的を見失い、戦うべき相手を見誤ることが危険というのは確かだ」
「…隊長」
「疑念は判断を鈍らせる。かといって、間違ったものに従う愚かさを繰り返したくはない」

ふう、と溜め息を漏らすイザークも葛藤を抱えている。
割と素直に感情を吐露する友人に、シホの前だと穏やかだよなぁと理不尽なものを感じてディアッカは肩をすくめた。ま、微笑ましくていいんだけどさ、独り身としてはすごくツライというか。

「俺たちは真実を見極めることを怠ってはならん」
「はい」
「だが、プラントを守るという責務も果たす必要がある」
「…無論です」
「そのために、励めよ」
「はい!」

背筋を伸ばした少女は、ありがとうございましたと頭を下げて去っていく。
その足取りに、迷いはすでにない。

「…恋の力って偉大」
「は?」
「いや、敬愛か?なんつーか、そういうとこの境界が微妙だよなお前ら」
「何の話だ」
「こっちの話。…ま、実際俺らにできることなんて限られてるよな」
「…いま果たす務めも疎かにはできんからな。…しかし、だからといってその目と耳を節穴にさせるなよ。裏で何が動いてるか分からないのが戦場だ」
「おーおー、お前も大人になったねぇ」
「馬鹿にしてるのか」
「まさか。…そういうことも考えられるぐらい、俺らも大人になったってことだよなぁ」
「ふん」

大義の裏に綺麗ではないものがうごめくこともある、それを知っている。
議長がどれほど崇高な理念を掲げようと、それだけではない可能性があることも分かっている。
だからといって、全てを諦めるわけにはいかない。
自分たちの願いを叶えるために、立ち止まってはいられないのだ。

「なあ、イザーク」
「今度は何だ」
「お前の戦う理由って何?」
「…いまさら聞く内容かそれは」
「ちょっと気になってさ」
「プラントを守る。それ以外に何の理由がある」
「………だよな」

うん、そんなものなのだ。戦おうと思った理由なんて。
欲しいのは、大切な人達が笑っていられる場所。帰ることのできる場所。
それ以外に求めるものなんて、ないのに。

戦いが終わらないのは、なぜなのだろう。













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