+++ 飛 翔 +++
39.子供から大人へ ラクス・クラインとして表舞台に立ったラクスは、放送が終了すると同時に小さく息を吐き出した。 隣に座していたカガリが席を立ち、ありがとうと短く感謝して細い肩をぽんと叩く。 キラにもひとつ笑みを向けたカガリは、そのまま慌ただしく会議室へと移動するため準備を始めた。 オーブの立場を表明したいま、すべきことは多くある。敵対することになるデュランダルの力は大きく、己の意思を貫くにはオーブの国自体がいまは混乱状態にあった。本土襲撃の傷も、ようやく修復に手をつけたばかりだ。 「ラクス、お疲れ様」 「はい」 機材の片付けを始めるスタッフや、オーブ各地から運ばれてくる連絡を持ってやって来る人達。 出入りする多くの人達の邪魔にならないよう、キラはラクスと共に部屋の隅に移動した。 そっと彼女の白い手を握ると、かすかに指先が冷えているように思われて。ぎゅ、と握りこむ。 するとラクスは空色の瞳を瞬いて、そして柔らかく目許を綻ばせた。 ずっと、穏やかな日常の中にいたかったはずの少女。 しかし彼女は決めて、歩き出した。誰にも屈することのない凛とした心は、出会った頃から変わらない。 とはいえ、本当は普通の女の子だ。花を見て、空を見上げ、海を眺め、日々を慈しむ少女。 何も負担に思わないはずがない、と手の中に感じるほっそりとした指に愛しさを覚える。 料理をして、お裁縫をして、掃除や洗濯を子供たちと楽しんで。そのためにあるはずのこの小さな手。 なのに彼女の肩には世界という大きなものが圧し掛かっていて。 ラクス自身もそれを受け入れ、未来を探すために再び歩き出した。でも。 こんなに華奢な身体で、冷たく残酷な世界を歩こうとする姿は、キラの胸にはひどく痛い。 「………どうなさいました、キラ?」 「…ラクスは強いなと思って。何年も立ち上がれなかった僕より、ずっと」 「いいえ。いまこうしてキラも前へ進んでいるではありませんか」 「進めてるかな」 「諦めてしまえば、全ては終わりです。諦めないでいるのならそれは、歩き続けているということ」 「うん」 「その力を、ひとの可能性を、キラは私に教えてくださいます」 「…え?」 自分はもらうばかりで、与えられるものなどない。 そう思っていたから、ラクスの静かな言葉にキラは驚いて顔を上げた。 慈しむような眼差しは優しく、温かい。かすかに首を傾げる動作に合わせて、彼女の髪が揺れた。 「私がこうしてまた歩き出せるのは、あなたのおかげです。キラ」 「そう、なのかな」 「はい。ひとは支えられ、支え、そうして生きていくのですわ」 支えられているのだろうか、ラクスを。アスランやカガリ、大切な人々を。 いつもいつも支えられて助けられているから、自分も同じように返せているといい。 こんなときでも、彼女の言葉に救われる自分が、やっぱりちょっと情けなくて。 「お前ら、いちゃつくなら艦に戻ってやれ」 「あ、ごめん」 「カガリさん、アスランに伝えることは何かありますか?」 分厚い書類を手にやって来たカガリは、ラクスの問いに虚を突かれたようだった。 「アスランに?」 「そうそう、目を覚ましてすっかり元気だよ。ベッドから起きるのは辛そうだけど」 「…ホントあいつは傷だらけだよな。別に伝えることはない」 「まあ、よろしいんですの?」 「私は私のできることをやる。アスランだって、そうだろ?あいつは余計なことまで考えそうだけど、キラとラクスが傍にいれば大丈夫だろうし」 不安げに揺れていたカガリの姿はもうそこにはない。 互いを想い、だからこそ不安定だったアスランとカガリだったけれど。 いまは目に見えない確たる絆があるように思えて、それは安心と共にかすかな寂しさを生んだ。 見ている先は同じ。だけど、できることはカガリとアスランでは違ってくる。 それが分かっていて、こうして毅然としていられる片割れに成長を感じて。 「それじゃ、方針が決まったらアークエンジェルに連絡を入れる」 「うん」 「補給や補修もするつもりだから、待っていてくれ。ラミアス艦長によろしく」 てきぱきと告げてカガリはオーブ首長としての背中を見せ去っていった。 無言で半身を見送ったキラは、僕たちも行こうかとラクスを促して部屋から出る。 ばたばたと慌ただしいオーブの人々をすり抜け、フリーダムに再び搭乗した。 帰艦するため空へと舞い上がりながら、ほんの少しの喪失感に気づく。 嫌なものではない。負の感情ではないのだ。 心強さを感じたし、成長したカガリの姿にオーブはきっと大丈夫だと思えた。 なのに、ぽっかりと胸に穴が開いたような気がしてしまう。 「………カガリとアスランには、一緒に笑って喧嘩して過ごしてほしかったな」 「…はい」 「世界のこととか国のこととか、そういうの関係なく自然体でいられる。それがきっと、二人でいるときのカガリとアスランだったと思うんだ」 「そうですわね。お二人とも心から他の人達を思いやれる方ですから、いつも難しいお顔をしていて」 「うん。そんな二人が、お互いといるときは感情豊かでさ」 「ふふ、キラといるときも同じでしたわ」 「そうかな?なんか二人には怒られてた記憶しかないや」 肩をすくめると、ラクスが座席の後ろからくすくすと笑みをこぼす。 「……いつまでも、そうしていられたらよかったのに」 「………えぇ」 「それだけを願っていられたのは、もう終わりなんだよね」 すべきことがあり、できることがあり、したいと願うことがある。 温かい場所で真綿に包まれたままの時間はもう終わり、そこから抜け出さなければならない。 無邪気でいられた子供の時間には別れを告げて。現実への一歩を踏み出す。 「大人になっていくって、こういうことなのかな…」 「ですがキラ」 「ん?」 「これからの未来はまだ続いていきます。それなら、お二人がまた共に過ごせる日もきっと」 「………そうだね」 無限に広がる未来と可能性。 それさえあれば、また再び彼らが素直に笑っていられる場所が見つけられるのかもしれない。 だからこそ。 「…………ラクス。戻ったら、あのノートをもう一度読んでみよう」 「はい」 デスティニープラン、と書かれた古びた一冊のノート。 運命、という重々しく現実味のない言葉に。 言葉では説明のつかない焦燥と、嫌悪を感じていた。 議長の傍にいるラクス・クラインは偽物かもしれない。 そしてオーブのラクス・クラインが投げかけた静かな言葉は、確かに世界に波紋を生んだ。 どちらの歌姫が本物かは分からないまま。 そのことはどうでもいいのだと、ラクスはあっさりと微笑んでみせた。 ただ自分たちがひたすらに信じてきたものが、本当に正しい道なのかどうか。 そこを疑問に思ってほしかったのだと。 戦うことに関して迷いがないというのは、軍人には必要な要素。 しかし本当の意味で戦いを終わらせたいと望むのなら、迷わないというのは危険だ。 別の可能性を見落とし、別にあった最良の道を排除しかねないということでもあるのだから。 「同じ轍を、私たちは踏むことのないようにしなければ」 「……ラクス様は、そういったことを昔から考えられていたんですか?」 難しい表情を浮かべていることの多いメイリンは、いまラクスにお茶に誘われていた。 あの有名な歌姫と共にお茶をする、ということで最初はがっちがちに緊張していた少女だが。 しばらくすると、ラクスのほんわかとした空気が伝染してか自然体になっていく。 ハロを相手に自由に過ごす歌姫に、毒気を抜かれてしまったのかもしれない。 「大切な人達が笑顔であってくれればいい。思うのは皆さんと同じ、それだけですわ」 「そ、うですよね」 「キラや、アスラン、カガリさんやマリューさんたち。…それにメイリンさん」 「…え!」 「大切な仲間ですもの、素敵な笑顔を見せていただければ嬉しいです」 「あ、え、その」 にこにこと微笑むラクスに、メイリンは顔が熱くなっていくのを感じる。 伝説級の人なのだ。アスランもラクスも。こうして言葉をかわすだけでも、本当に奇跡のような。 なのに、こんなことまで言ってもらえるだなんて。頭が沸騰しそうだ。 「そして、ミネルバの方々も」 「………え」 「お話ができればいいですわね。銃を向けあうのではなく」 「……はい」 レイに向けられた銃口を、シンによって撃墜されたあの夜を、メイリンは忘れていない。 一緒にご飯を食べて、訓練をして、たまにショッピングに行くことだってあった。 そんな仲間に突き付けられた鋭い殺意は、メイリンの胸に確かな恐怖と傷を植え付けていて。 記憶がリフレインして、夜中に飛び起きてしまうことだってある。身体が震えることも。 でも、だから敵だとは思えないのだ。 姉もシンもミネルバの人達も、いまでもメイリンにとっては大切な仲間。 分かってほしい想いがあり、聞きたいこともたくさんある。なのに戦場はそれを許さない。 「全てを壊すまで気づかない、というのでは先の大戦の繰り返しです」 「ですよね」 「そうならないために何ができるか。考えることを諦めないようにしなければ」 「はい」 「メイリンさんは、このままアークエンジェルに残られるのですか?」 「…え?」 ラクスの問いかけに顔を上げると、彼女の澄んだ瞳がこちらをとらえていた。 優しく、けれど答えを提示することはない、全てを見透かしているような眼差し。 ああ、このひとがラクス・クラインなのだ。 妙に納得してしまい、メイリンはこくりと頷く。 迷った。このままアークエンジェルに乗れば、姉たちと戦うことになる可能性は高い。 艦を下りる道も、きっとオーブは用意してくれるだろう。カガリが援助してくれるかもしれない。 「……アークエンジェルに乗って、お姉ちゃんたちとちゃんと話をしに行きたいです。私もこの世界のこと、知っちゃったから…戻れません。見ない振りはもう、できないです」 「…そうですか。メイリンさんもとても、強い方ですわね」 「強くなんてないです。いまだって怖くて、すごく迷ってて、けど」 「行かれるのでしょう?」 「………はい」 怖さをねじ伏せて眼差しに力をこめると、ラクスはふわりと微笑んだ。 「メイリンさんのお姉様にも、ぜひお会いしてみたいですわ」 「がさつで男勝りすぎるんですよ。もうちょっとおしゃれとか気にすればいいのに」 「ふふ。カガリさんのような方でしょうか」 「うーん…身体動かすのが好きっていうのは同じかもですけど…ちょっと違うような?」 メイリンが小首を傾げると、部屋のドアが開く。 ここはラクスの部屋なのだが当たり前のような顔で入ってきたのはキラだ。 メイリンがいることに気づいた青年は少しだけ驚いた様子で。 ぺこりと頭を下げる少女に、邪魔しちゃったかな?と頬をかいた。 「キラもいかがですか、お茶の時間です」 「うん、もらおうかな。ちょうどよかった、これエリカさんからお菓子」 「まあ、とってもおいしそう。メイリンさんもいかがです?」 「え、いいんですか?ラクス様のために持ってきたんじゃ…」 「皆で食べた方がおいしいよ。それにラクス、ちょっと太ったって気にしてたし」 「あまり外に出られませんでしたから。…けれどキラ、人前でそういうことを話すのは失礼ですわ」 ちょっとだけ頬を膨らませるラクスに、ごめんごめんとキラが笑う。 全てを導くような老獪さすらも見せるラクスが、こんな風に普通の女の子の顔を浮かべる。 そのことに、メイリンはちょっとばかり衝撃を受けた。 「………キラさんって、すごい」 「え?」 きょとんとアメジストの瞳を瞬く青年は、まったくの無自覚だったようだけれど。 NEXT⇒◆ |