+++ 飛 翔 +++
5.遠い幻 聞こえてくる声は まるで泣いているかのようだった プラントは核攻撃にさらされても自国を防衛することに成功し、いまは膠着状態が続いている。まさか核を防がれるとは思っていなかった連合も今は混乱中らしい。 その情報を確認しながらバルトフェルドは呆れた、というように溜め息を吐き出した。先の大戦からまだ二年だ。そしてあのときに、核の脅威を散々学んだはずだというのに、また同じことを繰り返すとは。 今度こそプラントの人間は怒り狂っているに違いない。 「やっぱり、そうなるよな…プラントとしては」 暗い部屋にはコーヒー独特の香りが満ちて、その中を男の低い声が渡っていく。 様々な情報が入ってくる中で、あまり歓迎できないものを発見する。これからプラントがどのように動いていくのか、議会でも意見が割れているらしいと。 だが流れは望まぬ方向に進んでいるようで、珍しく砂漠の虎と呼ばれた男は溜め息を吐いた。 自分たちもいずれ、動かなければならないのかもしれない。 皆が寝静まった時間、キラはテラスに腰掛けていた。 昼間からほとんど同じ場所にいるのだが、時間の感覚がなくなっているのかあまり気にならない。 宇宙ではプラントと連合の戦いがあって。 けれど翌日のオーブはいつも通り、穏やかな時間が流れていた。 バルトフェルドやマリューから聞いた話では、カガリや首脳陣はずっと会議室にこもりきりらしく、情勢が悪いということは分かる。けれど、まだオーブという国は平和を保っている。それが何だか不思議で、違和感も覚えた。 この穏やかな時間を、いったいあとどれだけ続けることができるのだろう。 このオーブという国も、否応なく戦火に巻き込まれることは何となく想像がついた。 ――――――――― 戦争 思い出そうとすれば、いまでも鮮明に蘇る戦いの記憶。 守れなかった大切なひとたち。伸ばしても届かなかった、この手。 あの日々がまた、繰り返されようとしているのかもしれない。 そう思考の波に沈む少年の瞳は揺れる。あんなことはもうたくさんだと、誰もが思ったはずではなかったか。ならなぜ、また再び戦いが世界を包もうとしているのだ。 そこまで考えてしまうと、いつもどこからともなくあの低い声が自分に囁く。それが人だからだ、と。 それを振り払うかのように、トリィが頭の上に飛び乗ってくる。 軽い振動に我に返ってキラは手をすっと差し出した。それに応じてメタリックグリーンの翼を持つトリィが手に乗ってくる。 首を傾げるその仕草が、まるで自分を心配しているようで。アメジストの瞳を細めて、キラはふと視線を夜の海に向けた。その動作に合わせてトリィが飛び立つ。 闇の中に浮かぶ海も、夜空を彩る星もいつもと変わらない。 静寂の夜は自分を包み、人々に安らぎを与えるはずなのに。今日はその静けさが恐いと思った。 もう一度自分の手を開いて眺める。 この手は、いったい何を守れたのだろうか。そして何を失ってきたのだろうか。 もしかするとまた自分は、大切な何かを失ってしまうのかもしれない。 守ることができなかった少女たちや、友人を思い出して目を閉じる。 あんなことはもうたくさんだ。 なら自分に出来ることは何だろう。 そしてまた同じ思考を繰り返し、夜は更けていった。 「……積極的自衛権の行使、ですか」 「ま、プラントとしては行動に出るしかなかろう。何しろ核を撃たれたんだし」 「えぇ、そうですわね…」 翌日、プラント評議会の決定が出たことの報告を受けたラクスは表情を曇らせた。 説明するバルトフェルドの方も、声は飄々としているがやはり顔には翳りが見られる。 「こうなると、オーブの方も中立でいるのは難しいわね」 「あぁ。連合からの圧力は増すだろうし、二年前のこともある。今度は理念を貫くことは難しいかもしれない」 「………カガリさんは、ひとりで頑張ってらっしゃるのでしょうね」 「それも時間の問題だろう」 自分たちの気持ちを無視して、世界というのは動き続ける。 平和のために奔走していたカガリを知っているからこそ、こんな状態になってしまった世界にラクスは胸を痛めた。誰もが平和を願い、望んでいるはずなのに。なぜいつも全ては逆の方向へと進んでいってしまうのだろう。 その横でマリューがそういえばと顔を上げた。 「ミネルバはどうするつもりなのかしら」 「まだモルゲンレーテにいるんじゃなかったかな」 「宣戦布告があって、どうするつもりなのかしらね」 「さあねえ。ただ今の状況だと、ザフトと連絡を取るのも難しいだろうし」 「ですが、このままですと危険ではありませんか?」 オーブが連合に加わるようなことになれば、ザフトの戦艦であるミネルバは敵艦ということになってしまう。 せっかくユニウス・セブンの破砕作業を行い、地球を救ってくれた艦だというのに。 ラクスの懸念に、そうだろねと頷いてバルトフェルドは立ち上がった。 「それじゃちょっと、警告してくるかな」 悪戯でもするかのような楽しげな笑みを浮かべ、機材の揃う部屋へと移動していく彼の後をマリューが追う。 ミネルバのことは二人に任せることにして、ラクスは子供たちの世話をするため反対方向へと歩き出した。すると丁度起きてきたのかキラと遭遇する。彼の表情からあまり寝ていないことが分かったが、あえてそれには触れずにラクスはいつものように微笑んでみせた。 「おはようございます、キラ」 「おはよう」 「今日は良い天気ですわ」 「そうみたいだね。子供たちも、楽しそう」 外からは遊んでいる賑やかな声が聞こえてくる。 しばらく二人でその声を聞いていたが、ややあってキラが口を開いた。 「ラクス、バルトフェルドさんたちは?」 「え?」 「この状態で、あのひとがじっとしてるとも思えないし」 「………ミネルバにいま通信を入れているところだと思います」 「そう…」 小さく頷いて、キラは彼らがいるであろう部屋へと向かう。 ドアを開けてそっと入ると、バルトフェルドがインカムをつけて話しているところだった。壁に寄りかかるようにして立っているマリューが、くすくすと笑みを漏らしている。 またバルトフェルドが何かおふざけでもしたのだろうか。 「ともかく、警告はした。降下作戦が始まれば、大西洋連邦との同盟の締結は押し切られるだろう。……アスハ代表も頑張ってはいるがな」 打って変わってバルトフェルドは真面目な声を作る。その簡潔でありながら、とても重い言葉にキラは眉を寄せた。ザフトが武力行使に動けば、連合軍とて動かないわけにはいかない。つまり戦いが始まってしまうということだ。 いくら『積極的自衛権の行使』といったところで、連合が納得するとも思えない。 「とどまることを選ぶならそれもいい。あとは君の判断だ、艦長。幸運を祈る」 そして通信を切る。 振り返るバルトフェルドに、マリューはお疲れ様というように笑みを浮かべた。 カガリがどんなに頑張ろうとも、このままオーブを抑えておくのはもはや無理だろう。彼女の清い理想を知っているからこそ、そのことは辛いが。だがそれによってミネルバに影響が出てしまうことも、憂慮すべきことのひとつだ。 「それで、何で笑ってたんですかマリューさん」 「ふふ、あのねミネルバの艦長から匿名の情報を信じられるわけないって言われて、このひと何て言ったと思う?」 「さあ」 「バルトフェルドっていう男からの、伝言だって言ったのよ」 「仕方ないだろう?本人と言うわけにはいかんさ」 確かに本人が話しているというのに、伝言だと飄々と言ってのける姿は面白いかもしれない。 自分たちは公の場に出ることはできない立場だから、仕方ないのだけれど。 「………ミネルバ、大丈夫でしょうか」 「さあて。それは分からんね。でも、大丈夫だと思うよ」 「どうしてですか?」 「運の強そうな声してたからね、ミネルバの艦長。アークエンジェルの艦長みたいにさ」 「あら、どういう意味かしら」 数々の激戦を潜り抜けてきたマリューが胡乱な目を向ける。それにひょいっと肩をすくめてバルトフェルドは立ち上がった。キラとマリューは互いに目を合わせて、相変わらずの虎の様子につい笑みを浮かべてしまう。 どんなに過酷な状況であっても、なぜが場を明るくしてしまうバルトフェルド。 今はそれがとても、ありがたかった。 明朝、ミネルバが発進すると聞いてキラは浜辺に出ていた。 ここから何が見えるわけではないが、家でじっとしていることが出来なかったのである。 オーブを追われるようにして去っていく彼らは、いま何を思っているのだろう。 予想していた通り、オーブは大西洋連邦との同盟締結に踏み出すようだった。またこの国は戦いの火に巻き込まれていく。その決定を、カガリはどんな気持ちで受け止めたのだろうか。 何もかもが思い通りにいかず、最悪の結果を生み出していく。 このままでいいはずがない。 また争いへと進んでいく世界に、キラは目を閉じる。 すると誰かがこちらに近づいてくる音が聞こえてきた。軽やかな足取りに、すぐにそれが誰か分かる。 横に並んだ少女は、潮風にピンクの髪をなびかせて静かに水平線のその先を見つめていた。 それはこの世界の悲しみを憂いているようで。 「また………誰かが泣いてる……」 ぽつりと漏らしたその言葉に、小さくラクスは頷いた。 ミネルバという艦はいつかの自分たちと重なる。 追われていく彼らもまた、戦争というものに飲み込まれていくのだろう。 二年前、自分たちが辿った道を彼らも歩くことになるのだろうか。 そうと知りながら、何もしないでいていいのだろうか。 いいはずがない。 そう拳を握るキラの手を、そっとラクスは握った。 NEXT⇒◆ |