+++ 飛 翔 +++


6.ゆずれぬもの



















その日、オーブが世界安全保障条約機構に加入すると、国民たちにも知らされた。









ニュースが流れる部屋から抜け出して、キラは浜へと出ていた。いつの日も変わらず海と空は青い景色を生み出しており、それを見ることで少し心は落ち着いていく。ついに動き始めてしまった世界。また繰り返される戦い。

なぜ、どうして。

そう幾度も数え切れないほど問いかけてきた答えは、得られないまま。
そっと瞳を伏せた少年の髪を、潮風が優しく撫でていく。

「キラー!ボールとってー!」
「あ、うん」

近くにサッカーボールが転がってきていて、遠くで子供たちが手を振っている。それに頷いてキラは軽くボールを蹴った。ゆるやかに放物線を描いて、子供たちより少し後方へと飛んでいく。
それを楽しそうに笑いながら追いかける子供たちの姿に、まだここにはのどかな時間が流れていることにほっとした。

それがいつまで続くかは、分からないけれど。

浜をゆっくりと歩きながら、先日のミネルバについて思い出す。
オーブと連合の挟み撃ちにあったとのことだったが、何とか無事に逃げることはできたとのことで。ミネルバの艦長と直接会ったことのあるマリューは、その情報を聞いて胸を撫で下ろしていた。キラとラクスにしてみても、あの艦は地球のためにユニウス・セブンを破砕してくれたのだから、やはり無事でいて欲しいと思っていて。
こんな形でオーブを追われていくことになってしまって、胸が痛んでいた。それは大方のオーブ軍人の見方でもあるらしい。





国民の感情を無視して、情勢というものは進んでいく。

そのことに溜め息を吐いて、キラは砂浜に腰を下ろして海を眺めた。

こんな難しい中でも、カガリはきっと頑張っているのだろう。大人に囲まれながら、ただひとり。

そしてプラントへと上がった親友のことも気にかかる。




自分に出来ることは何だろう。

同じ問いをまた、キラは繰り返していた。






















「キラ、見てくださいな」
「わあ、大きく育ったね。美味しそうなトマト」
「ふふ、甘さもちょうどいいですわ。はい、おひとつどうぞ」
「ありがとう」

今日は畑でカリダと共に野菜の収穫をしていたラクス。ちょうど玄関で山盛りの籠を抱えていたラクスと遭遇し、荷物持ちを申し出てキラは野菜を台所へと運んだ。生命の輝きを放つそれらは宝石のように瑞々しさを放っている。
ひとつひとつ野菜を洗うのを手伝って、最後にラクスがお礼としてトマトを差し出してくれた。

「ん。美味しい」
「ふふ、自然の味ですわね」
「うん」

以前にもこうしてラクスとトマトを丸かじりしたのを思い出す。
無邪気に微笑んで、惜しみない優しさをくれる少女にキラはわずかに微笑んだ。

「ただいまー」
「砂だらけになっちゃったー」
「汗かいたよ〜」
「あらあら、皆さん先にお風呂に入った方がいいかもしれませんわね」

浜から戻ってきた子供たちの姿を見て、ラクスが楽しそうに笑みを漏らす。確かにとことん遊んだのだろう、砂にまみれてしまっている。子供たちを風呂場へと誘導する少女を見送り、キラは手の中のトマトを握りなおして、二階へと上がった。
バルトフェルドの部屋の前に立ち、ノックしてから扉を開ける。するとテラスに出ているようで、マリューとカップを手にしている彼の姿を見つけた。

「お、ちょうどいい。いまコーヒーを入れたところなんだ、飲んでみないか?」
「え、あ…僕はちょっと…」
「あれから二年だぞ、もう少し大人の味覚を持った方がいいんじゃないかな、少年」
「………苦いのはダメなんですよ」

砂漠で出会ったときのような口調でおどけるバルトフェルドに、キラは口を尖らせてテラスへと歩いていく。そのやり取りを見て、マリューが柔かく微笑んだ。海から流れてくる風が部屋のカーテンを揺らし、この場にいる者の髪も乱していく。
そのことに目を細めるキラに、しばらくの間をおいてバルトフェルドが声をかけた。

「………………しばらくしたら、プラントに行くことになるかもしれんな」
「……はい」
「今はまだいいが、連合と同盟を結ぶことになった以上、こちらは邪魔だろう。僕たちも、余計な火種になりたくはないし?」
「えぇ、そうね」
「マリューさんはどうするんですか?」

キラが問いかけると、マグカップを手にマリューは首を傾げる。
どうしようかしら、と困ったように笑う姿にバルトフェルドが飄々と肩をすくめた。

「いま僕が口説いてるところさ、一緒に来ないかってね」
「ふふ、そう口説かれてたところなの」
「はは…」

大人たちの言葉遊びに乾いた笑いを漏らしつつ、キラはマリューの瞳に翳りがあることに気付く。それはバルトフェルドだって気付いているに違いない。マリューの心にはいまだに、彼が住み着いている。そしてバルトフェルドの心の中にも、彼女がいまでもいるに違いないのだ。
大切に飾られた恋人の写真や、帽子がそれを伝えている。

あの戦いの中で失ったもの。それはあまりに多い。

そしてその厳しい戦いを共に切り抜けてきた自分たちの間には、強い連帯感のようなものが存在していて。
だから出来ることなら、キラとしてもマリューたちと離れてしまうのは避けたかった。

「僕も、マリューさんと一緒に行けたらいいなって、思います」
「あら、キラくんにまで口説かれちゃった」
「モテるねぇ、君」
「ふふ」

穏やかに流れる時間も、終わりが近づいている。
自分たちがただ静かに過ごせる場所は、どんどんこの世界から消えていって。

いずれどこにも無くなるんじゃないか。

そう思ってしまいそうで、キラはそっと目を閉じた。





















その夜は奇妙に静かだった。



眠るときは深く寝入ってしまうはずのキラは、なぜか自分の意識が浮上するのを感じていた。
どうしてなんだろう、と半分眠った頭で思っていると、廊下から聞きなれた声が聞こえてくる。

<ザンネン、ザンネン、アカンデ!>

ハロだ。そう気付いてキラは目を開いた。部屋はまだ暗く、夜中なのだということが分かる。

<ミトメタクナイ!ミトメタクナイ!>

そんな時間にあのハロが喋りだすなんて、何かがあったに違いない。以前ラクスのお願いで取り付けたセンサーが反応したのだろうか。
訳の分からない状態のままベッドを抜け出し廊下に出ると、銃を手にラクスの部屋へと入っていくマリューと、厳しい表情のバルトフェルドがいて息を呑んだ。

「どうしたんですか?」
「早く服を着ろ。嫌なお客さんだぞ」
「!」
「ラミアス艦長と共にラクスたちを」
「はい!」

階下へと走っていくバルトフェルドに返事をしてキラは自室に駆け込む。寝巻きからすぐに着替えて、そのままラクスの部屋へと走り出した。何がどうなっているのか分からないが、彼らが銃を取り出してくるような事態ということは。キラは拳を握った。

「ラクス!」

部屋に駆け込むとラクスは不安そうな瞳を浮かべながらも、眠そうにしている子供たちを起こしている。
それをキラも手伝い、カリダとマルキオと共に部屋を抜け出した。

「窓から離れて!シェルターへ急いで」
「はい」

マリューの指示に従って壁にそって階段を上っていく。マリューが何かに気付いて窓に向かって発砲し、硝子が砕け散った。その音に子供たちが怯えたような声を上げ、泣きそうになってしまう。
ここで立ち止まるわけにはいかず、ラクスはこんな中であってもいつも通り穏やかな表情と声で子供たちを促した。

「大丈夫ですからね、さあ急いで」

歩き慣れた家の中だというのに、シェルターまでの道が果てしなく感じる。
自分でそうなのだから、子供たちの恐怖はその比ではないだろう。不安そうに見上げてくる子供たちを落ち着かせながら、奥へと進んでいく。
マリューが安全を確認して合図を出し、マルキオとカリダ、そして子供たちとラクスが続く。最後にキラが通った直後、扉が開き謎の男たちが飛び出してきた。

「マリューさん!」
「早く!」

キラの警告に鋭い声で答え、マリューは銃弾を放つ。
すぐ傍で聞こえる銃撃の音に足を竦ませてしまっている子供に気付いて、キラは抱きかかえて走り出した。震える小さな身体に、安心させるように何度も大丈夫だからと声をかける。

いったい、何が起こっているというのだろう。

自分たちがコーディネイターだと知って、ブルーコスモスがやって来たのだろうか。
それともオーブにとって邪魔だと判断した誰かが、自分たちを抹殺しようとしているのか。
不安と焦燥に駆られ、キラは歯を食いしばった。


こんなにも脆い。

あっけなく、平和は崩れていってしまう。


やっとシェルターの入り口に辿り着き、マルキオがパスワードを入力していく。その間にも攻撃は続いていて、マリューが牽制の銃弾を放つ。反対側のドアからバルトフェルドが現れ、キラとラクスはわずかに安堵した。
そしてシェルターの重いドアが開き、ラクスが子供たちを促す。

「さ、早く!」
「急げ!かなりの数だ」

先にカリダとマルキオ、そして子供たちが入るのを見届けて、次は自分たちだとキラはラクスに歩み寄ろうとした。
そのときだ。

<ミトメタクナイ!ミトメタクナイ!>

ハロが何かからラクスを守るように飛び上がり、そんなハロの様子にラクスが不思議そうな表情を浮かべる。それを見てキラの中に不安が生まれて、咄嗟に後ろを振り返った。
そして視界に入ったのは天井近くの換気口から覗く、銃口。



それを見た瞬間、キラの頭は真っ白になった。

ただ守らなければ、その衝動だけが身体を支配する。



「ラクスっ!!」
「キラ!?」

無我夢中で駆け出し、自分の身体で覆うように少女を抱き締める。ラクスが驚いたように腕の中で自分の名前を呼ぶが、返事を返す余裕などなかった。倒れ込むように床に沈もうとする自分の髪を、銃弾がかすめるのが分かる。
それに気付いてすぐにマリューとバルトフェルドが襲撃者に振り返り、銃を放った。
やっと静けさが戻り、いまだに唖然としているラクスの手を取り、キラはシェルターの中へと駆け込む。その後にマリューたちも続き、重い扉が再び閉じていった。完全にロックされたのを確認して、その場にマリューが座り込む。
大丈夫か?と気遣うバルトフェルドにキラが頷き、子供たちの傍に立つラクスへと視線を向けた。


彼女を失ってしまうかと、思った。

それを思い出すだけで背筋が凍る。

だが、なぜ?


「コーディネイターだわ」
「ああ、それも、素人じゃない。ちゃんと戦闘訓練を受けてる連中だ」
「ザフト軍、ってことですか?」

信じられない、という思いもこめてキラはバルトフェルドに問いかける。難しい表情を浮かべる彼の傍で、いまだに荒い息を整えながら、マリューが低い声で唸った。

「コーディネイターの特殊部隊なんて…サイテー!」
「わからんがね…。それが彼女を狙ってくるとはね」
「でもなんでラクスを?」
「さあね」

相手がコーディネイターだというのなら、ラクスを狙う必要などないはずではないか。先の大戦では終戦の立役者として今でも彼女は慕われている。それ以前に、歌姫として平和を愛していたラクスを誰もが知っているのだ。
そして今では政治からは遠く離れた場所にいる彼女が、何かの障害になどなるはずもない。一体、何が起こっているのだろう。

自分たちの知らないところで、プラントでも何かがあるということだろうか。

「キラ…バルトフェルド隊長、マリューさん……」

たおやかな声に振り返ると、そこには表情を曇らせた少女がいた。
子供たちに聞こえないようにと、小さくけれどもはっきりとした声でラクスが尋ねる。

「狙われたのは…私なのですね」
「ラクス…」

少女の肩に手を伸ばそうとした瞬間、床が大きく揺れて照明が明滅する。強い震動に子供たちが悲鳴を上げ、ラクスもバランスを崩して倒れそうになる。それを抱き寄せてキラは眉を顰めた。

これは普通の爆薬の揺れではない。
バルトフェルドも同じ考えらしく、さらに奥へのシェルターを開き子供たちを誘導しながら、冗談を言うかのような口調で声を発した。

「狙われた、というか…狙われてるな、まだ」

全員が入ったのを確認してシェルターを閉める。それでも続く揺れに、マリューが厳しい表情で口を開いた。

「モビルスーツ?」
「おそらくな。何が何機いるかわからないが、火力のありったけで狙われたら、ここも長くは保たないぞ」

モビルスーツの火力というのはただの爆薬とは比べ物にならない。
そのことをキラたちはよく知っており、このままではいかなアスハ邸のシェルターとで無事では済まないということは分かっていた。


いま、守る力があれば。


ラクスが狙われた瞬間に胸に溢れた恐怖、焦燥。
大切なものが失われてしまう恐ろしさを、キラは再びまざまざと感じていた。


いまここにいる大切なひとたちを、守りたい。

二度と失いたくなんてないのに。


けれどいまの自分には何の力もなく、ラクスも母や子供たち、そしてマリューやバルトフェルドを守るために出来ることはない。それがもどかしくて、悔しくて。ぎゅっと拳を握る自分に、バルトフェルドの静かな声が響いた。

「ラクス、鍵は持っているな?」

………………鍵?
不思議に思って顔を上げると、ラクスが息を呑んだところで。

いつも連れているピンクのハロを抱き締めて、泣きそうな表情を浮かべている。

「扉を開ける。仕方なかろう?それともいま、ここで、皆おとなしく死んでやった方がいいと思うか?」
「いえ…!それは……」

辛そうに肩をすくめるラクスと、床に目を落としてしまうマリュー。
しかしキラだけは、その会話の流れについていくことができずにいた。鍵、そして扉、いったい何のことなのだろう。

「ラクス……?」
「キラ……」

不思議に思って声をかけると、少女は瞳を揺らして見上げてくる。
彼女の瞳の中にあったのは、深い悲しみと不安。自分を気遣うときに見せてくれていた、あの感情。


それを見て、キラはそうか、と気付いた。


自分だけが知らなかった扉の存在。
封印するかのように固く閉じられ、鍵をかけられたそれ。

そこに何が眠っているのか、納得すると同時に心の中に温かい何かが流れ込んでくる。
彼らがこの扉の奥の存在を黙っていてくれたのは、傷ついた自分のためだったのだろう。あの戦いからずっと、虚ろな心しか持たなかった自分のために。そのことに感謝の心と、申し訳ない気持ちがよぎる。


そして同時に、ゆるやかに視界が鮮明さを取り戻していくのを感じた。

ずっと靄がかかったような状態だった景色が、輝きを取り戻す。

身体に熱が、戻ってくる。


「かして」
「え……?」
「なら僕が、開けるから」
「いえ………でも、これは…」

自然と笑みを浮かべ、ラクスへと手を差し伸べる。しかし少女は弱々しく頭を振った。それに柔かく微笑み口を開く。穏やかな、それでいて決然とした響きを持つ声音で。

「大丈夫」

その一言で、ラクスが顔を上げる。

「僕は大丈夫だから、ラクス」
「キラ……」

涙を滲ませる少女を抱き締め、腕の中にある温もりに目を閉じて、キラは心の底から思った。
彼女を守りたい。もう大切なものを失いたくない。
大切なのだと、そう認めてしまえば失ってしまうのではないか。そう怯えていた自分。けれど例えそうしていたとしても、いまのこの世界ではいつ守りたいものが消えていってしまうのか分からないのだ。

それならば、自分の手で、この腕の中で、大切なものを守らなければ。

「このまま、君たちのことすら守れずに……そんなことになる方がずっと辛い…」
「キラ…」

だから鍵を貸してほしい。そう桃色の髪に顔をうずめながら願う。
するとラクスは一瞬だけ辛そうに目を伏せて、それから静かに抱き締めていたハロを差し出した。それを開くとふたつの鍵があり、左右に分かれた位置にある鍵穴に、バルトフェルドと並ぶ。

バルトフェルドが右側、キラが左側に。

「三、二、一」

バルトフェルドの合図に合わせて、同時に鍵を回す。
巨大な壁がゆっくりと開き、暗闇の中に大きな影があることを感じる。それをキラは静かに見つめていた。

照明が灯り、記憶の中と変わらない灰色の機体が姿を見せる。


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背中に十枚の羽根を持つ、巨体。数多の戦場を共に駆け抜け、傷つきそれでも進んだ機体だ。ずっと眠り続けていた機体を見上げて、キラは一歩を踏み出した。また自分は剣を取り、戦う。
背中に母の視線を感じるが、キラは振り返らなかった。また再び戦場へと戻ってしまうかもしれないけれど、いまここにある大切なものを失いたくないから。守りたいものが、自分にはあるのだから。

泣きそうな顔で剣を望む自分を押し止めようとした少女に感謝しつつ。

だからこそ、彼女を守りたいのだと思った。










ずっと深い眠りについていた機体が目覚めると同じ瞬間。

虚ろな世界を彷徨っていた少年も。

ゆずれない大切なもののために。

再び世界へと、歩き出したのであった。

















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