+++ 萌 芽 +++


1.虚ろな日々


子供たちの笑い声が聞こえる。もうすぐ日も暮れるというのに、元気なものだ。
夕食の準備をしているのか、良い香りも風にのってやってくる。

そんな当たり前で、そして愛しい毎日にアスランは空を見上げた。
朱色に染まる雲がゆっくりと流れ、どこからか夜の気配を含んだ風を運んでくる。


「どうしたんだ?」


隣を歩いていた少女が、不思議そうに瞳を瞬かせた。
金色の髪が揺れて顔にかかるのがくすぐったいのか、風がそよぐ度に眉をしかめている。


「いや…平和だと思って」
「まあな。この間まで戦ってたなんて、信じられないよな」


あまりにも多くを犠牲にし過ぎた争い。
もう遠い昔の出来事のように感じるけれど、まだ一週間もたっていないのだ。
狂気に囚われた父、一瞬にして無数の命を奪った光。


「こんなふうに過ごせるだけで、幸せなのにな」
「カガリ……」
「やっと取り戻せたんだ、頑張らないと」


祖国を失い、敬愛していた父をも失った彼女。それなのにカガリは笑顔を浮かべている。生きることを諦めずにいる。



―――――― 生きる方が戦いだ!



きっと彼女の方が、生きていく事の意味を理解しているのかもしれない。無意識に。

「このまま…平和になると良いが」
「だな。ずっと協議が続いているみたいだし」
「オーブはどうなりそうだ?」
「…分からない。でもきっとまた、お父様が守ろうとした国の姿を取り戻す」

娘として託された想いを受け継ぐ。その覚悟が彼女にはある。


「みなさーん、そろそろ食事ですわー」
「「はーい」」

ラクスの声が家の中から響き、子供たちがすぐに応えて走り出す。すっかりお腹もぺこぺこのようだ。

「お二人もどうですか?」
「ありがとなラクス。もちろん食べるぞ!」

意気込むカガリにアスランが呆れたような溜め息を吐く。そんな二人の様子に、とても楽しそうにラクスがくすくすと笑った。

「あれ?キラは?」

自分の弟がいない事に気付いてカガリが問い掛ける。するとラクスの表情がほんの少し、沈んだ気がした。

「ラクス?」
「………キラは、砂浜にいると思いますわ」

その答えにカガリとアスランも複雑な面持ちになる。

「お腹空いたよー」
「まだぁ?」

無邪気な子供たちの声が聞こえ、ラクスははっとして室内の方へ足を向ける。

「少し待ってくださいな。いま準備しますから」
「ほら、皆も手伝っておあげなさい」

マルキオの穏やかな声に子供たちが元気良く応じる。ピンクの髪を揺らして、ラクスも食事の準備に取り掛かるようだった。
ちらりとこちらへ投げられたラクスの目が、自分に何かを頼んでいるようでアスランは小さく頷く。

「キラを呼んでくる」
「ん、分かった。私はラクスを手伝うよ」

カガリの乱入により、家の中がより一層賑やかになった。明るい声を背中に感じながら、アスランは浜辺の方へ足を向ける。




夕陽に照らされた海は幻想的で、最期の輝きかのように強い光を放っている。
その景色に溶け込むようにして、砂浜に座っている親友を見つけた。

ゆっくりと一歩一歩近づく。砂を踏みしめる音と、押し寄せる波の音が辺りを包む。

「キラ…」

やけに自分の声が響いた気がした。
静かな世界に身を委ねていたキラが、ゆるゆるとこちらへ振り返る。
以前には確かにあったはずの笑顔が宿っていないことに、アスランは不安になるのを感じた。


あまりにも笑わない、キラは。


「そろそろ夕飯だぞ」
「………うん」

こうして会話をしていても、まるで時差でもあるかのように反応が鈍い。
それが、争いの中で傷つき過ぎた事の結果であるのなら、これほど哀しいことはないだろう。

「……キラ?」
「………うん、大丈夫。ちゃんと行くから、先に行ってて?」

ぎこちなく笑みを作ろうとするキラに、アスランは胸が痛んだ。けれどそれを表には出さず、そうかと頷いて踵を返す。

やっと世界は争いをやめようと動き出したのに、キラの心には大きな穴が開いてしまったかのようだ。
不安は大きくなるばかりで、またひとつアスランは溜め息を吐く。

もうキラは、笑えないのではないだろうか………。









アスランの足音が遠ざかるのを感じながら、キラはまた海へと視線を戻した。赤から青紫へ変わっていく景色。美しいとさえいえるほどの世界を、ただぼんやりと眺めていた。


いまここにいる、それがとても不思議で。

生きている。

あれだけの命を奪った日々が嘘のように。


それら全てが夢だったのではないか、そう思ってしまいそうになるほど穏やかな時間。
けれど空を見上げれば、戦争の残骸が燃えて流星のように瞬いている。

何も分からない、今は。

自分たちがしたことは正しかったのか、これから世界は平和を築いていけるのか。人は分かり合えるのか。


何もできなかった。そして今も、何をすればいいのか分からない。


「キラ」
「ラクス…」

声をかけられて初めて、すっかり日が暮れている事に気付いた。しかしラクスはそれを責めるわけでもなく、キラの隣にそっと座る。

「ごめん…」
「いいえ、ゆっくりしたければ良いのですわ。ご飯は逃げませんから」
「カガリと子供たちが食べちゃいそうだけど」
「大丈夫ですわ。キラの分はよけてあります」
「…ありがとう」

いつも気遣ってくれるラクス。
心配そうに見守ってくれる、アスランとカガリ。

それは分かっていても、キラは動くことができないでいた。

温かいあの場所は、自分には不似合いな気がして。


守りたいと思ったものを守れず、ただ奪うだけの自分。
歩むことを止めてしまっているのを、じぶんでもよく分かっていながらもどうにもできない。


全てが遠く、触れていても現実味のない世界。


ただ虚ろに、それを見続けることしか今のキラにはできなかった。








「ラクスも…戻ってこないな」
「キラと一緒に、海を眺めてるんじゃないか」

国民から絶大な支持を得ているラクス。しかし彼女はプラントには戻らず、この地球でひっそりと暮らすことを選んだ。

傷ついたキラの傍にいるために。

大切なものを、癒すために。




この静かな日々が、優しく続くようにと。




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