+++ 萌 芽 +++
12.見えぬ道標 そう簡単に世界は変わらない。 ひとりの人間が喉を嗄らして叫んだところで、誰も耳を貸さない。 だからといって、諦めるわけにはいかない。 諦めた先にある悲しみを、もう知ってしまったから。 くじけるわけにはいかない。 いつか辿り着けると信じて。 「どうしたものかねぇ」 「カガリさんも辛いでしょうね」 「相変わらずというか、なんというか。あちらさんも無理難題を押し付けてくれる」 「えぇ…」 「はい、どうぞ。今回のもなかなか自信作だよ」 差し出されたカップに、栗毛色の髪を揺らしてマリューが淡く微笑む。 香る良い匂いに目を細めて、口に運ぶ。口内に広がる心地良い苦味に、目元を和らげた。 「ふふ、美味しい」 「それは良かった」 お互いに笑みを零して、視線を海へと向ける。 静かに寄せる波音と、空を舞うかもめ。白い雲が青い空に広がる。 穏やかな風を感じながら、小さく息を吐き出した。 「こうしていられるのは……いつまでかしら」 「おや、随分と弱気だね。きみらしくもない」 私だってそんなときもあるわ、と小さく睨めば大きな傷を持った顔で男は笑う。 この男、バルトフェルドの笑いはなぜか心地良い。 いまも消えない傷を抱えて、それに蓋をして毎日を生きている自分。 愛するひとをなくした彼もそれは同じなのだろう。 けれどいつも飄々としている姿に、肩の力を抜かされる。 そんなに肩肘張らなくてもいいのだと、そう言われているようで。 「私たちのこんな気持を置いて、世界はどんどん進んでいっちゃうのよね」 「確かに、これからの世界は目まぐるしく変わっていくだろう」 「ほんと、嫌になっちゃう」 「良い方向へ、変わっていってくれるといいんだが」 いままでは疲弊した自国を建て直すので精一杯だった世界。 それらが何とか軌道にのり、別の方向へと動き始めた。 次々と軍備を整えていく国家。 それは先の大戦の恐怖から逃れたい一心なのかもしれない。 けれどその大きな力が、果たして間違ったものにならないと誰が言えるだろう。 「オーブも、微妙な立場よね」 「何しろ地上で唯一、コーディネイターを受け入れた国家だし?」 「えぇ」 オーブが侵略された折、多くのコーディネイターは宇宙へと逃れた。 プラントで新たな生活を始めた人々が、自分の持てる技術を生かしていくのは当然のことで。 だがそのために、オーブの技術がプラントに流出してしまったのも事実だ。 「だからといって、オーブがプラントを支援してることになるなんて。相変わらず連合は訳の分からないことを言ってくる」 「恐いんでしょうね、オーブの技術が」 「以前に痛い目を見てるからかな」 宇宙へ上がるための施設マスドライバーを手に入れるために、オーブへ侵攻してきた連合。けれどそれはウズミの犠牲によって、食い止められることになった。目的のものを手に入れることもできず、それなりに痛手を負ったという事実は、連合にとって苦い記憶だろう。 「何はともあれ、僕たちは状況を見定めるしかない」 「そうね」 「何も起こらなければそれが一番だがね。何かあったときのための備えも、きちんと整えておく必要はあるだろう」 バルトフェルドの低い声に、マリューも沈痛な面持ちで頷いた。 このまま、世界が穏やかなものであればいいのに。 「モルゲンレーテには感謝してもしたりないね」 「えぇ。アークエンジェルの方も、随分と改良されててびっくりしたわ」 「あれなら少人数の乗組員でも何とかなりそうだ」 「必要にならないのが、一番なんだけれど」 「あぁ」 もうひとつ、秘密裏に整備されている剣を思い出し、二人は自然と目を伏せる。あの力を振るわなければならない日が来ないことを願う。いまだ悲しみの色を瞳に宿したままの少年が、どうか静かに安らげる場所が脅かされることのないように。 「プラントの方は?」 「いまのところは平和なもんだ。新しい議長は穏健派だし、ナチュラル排斥なんて考えはもっていないようだから、とりあえずは」 「大丈夫そう?」 「まあね」 「そう」 「ま、疑おうと思えばどこだって疑わしいさ。プラントも軍備を整えているのは同じだし」 自分たちだって結局は同じことをしているのだ。 いつか来るかもしれない日のために、戦うための力を欲する。 それが新しい何かの火種になるかもしれない、という不安を抱えながら。 「星、綺麗だね」 「はい」 夜空を見上げながら、二人寄り添う。 肩が触れるかどうかの距離で並び、手をのばせば届くのに手をのばすことはしない。 いまはこの距離がいい。 誰よりも優しく美しい少女。 自分が触れれば、ここからいなくなってしまいそうで。 空を見上げる動きに合わせて、桜色の髪がふわりと揺れる。 白い透けるような素肌は、月明かりに青い不思議な影を落としていた。 それら全てが彼女をどこか妖精めいて見せる。 「まあ、キラ。いま流れ星が見えましたわ」 「え、見えなかった」 「ふふ」 ゆっくりと流れる温かい時間。 大切なもの、ほとんどを失った自分の手は、また新しく大切な何かを受け入れることを拒絶する。 この腕に抱いてしまえば、また自分は失ってしまうのではないか。 大切だと認めた瞬間に、それらは壊れてしまうのではないか。 ただそれが、恐い。 「キラは、何をお願いしますか?」 「え?」 「流れ星に」 「あぁ……」 無邪気に尋ねてくる笑顔が、とても眩しい。 目を合わせることができなくて、キラは夜空を見上げることでそれを誤魔化した。 自分が願うこと。 「………すぐには、浮かばないや。ラクスは?」 「私ですか?そうですわね」 ことり、と首を傾げてから何かを思いついたように、目を輝かせて笑う。 「キラと一緒に、いられますように」 「………え」 「一緒に空を眺めたり、砂浜を散歩したり。子供たちと遊んで、疲れて眠ってしまったり」 「ラクス……」 「あら?これですと、もう叶ってしまってますわ」 お願いごとになりませんわね、と考え込む少女に胸が熱くなる。 どうしてきみは、欲しい言葉をくれるのだろう。 なぜ一緒にいたいと望んでくれるのだろう。 その眩しい笑顔を向けてくれるのは、どうして? 「あ、それではこれはどうでしょう。いつまでも、一緒にいられますように」 「………ありがとう、ラクス」 「え?」 「なんだか、プロポーズみたいだけど」 「言われてみるとそうですわ。ふふ、すみません」 「ううん。………嬉しかったから」 泣きそうな顔を叱咤して、笑顔をつくる。 たぶんそんな自分の気持に彼女は気付いていただろうけど、何も言わずに少し赤くなった顔で笑みを返してくれた。乾いた心に潤いを与えてくれるのは、いつだってこの少女なのだ。まだここにいてもいいのだと、その涼やかな声で囁いてくれる。 「………僕も、願いごと決まった」 「まあ、なんですの?」 「ラクスが、笑顔でいてくれますように」 そう呟くと、一瞬驚いたように目を瞬いて。それから嬉しそうに空色の瞳を細める。 柔らかなラクスの表情に、キラも穏やかな瞳で応えた。 まだ、一緒にいてほしいなんて願いは言えないけれど。 この腕にきみを抱き締める勇気は、足りないけれど。 いつかきっと言えるようになりたい。 きみと手を繋いで、同じものを見て感じて。 いつまでも一緒にいてほしい、と僕から言えるようになりたい。 それまではどうか笑っていて。 いまだ行くべき道は見えないけれど、いつかきっと光は差すのだろう。 きみという、温かい存在がいてくれるのなら。 NEXT⇒◆ |