+++ 萌 芽 +++
4.遠ざかる存在 そうして僕だけが置いていかれるのかもしれない 時代からも、仲間からも 世界からも すっかり自分の指定席になった椅子に座り、今日も外を眺めていたキラは海と戯れる子供たちとそれを見守る母に視線を移した。 遠くまでいかないでね、と呼びかけている母の姿。 子供たちもすっかり懐いているようで、元気に返事をしている。 ゆっくりと流れていく時間。 耳に響く波の音。 優しく頬を撫でていく風。 全てが自分を優しく包み、少しずつ傷を癒していく。 自分からは遠く離れた場所を眺めているかのように、その光景を飽きることなくキラは見つめていた。 「無事オーブは国としての立場を取り戻せたようですね」 「はい、マルキオ様」 かちゃり、と危なげなくティーカップをソーサーに戻してわずかに息を吐き出す。 「それは喜ぶべきことですが……また困難が続きそうですねラクス」 「はい」 ラクスが形の良い眉をひそめたのが気配で分かった。マルキオとて気持ちは同じだろう。 世界はまだ平穏からは程遠い。 表面上は手を取り合い復興の道を歩んでいるが、まだ収束しない講和会議を見ていればその難しさはよく分かる。 針の上に立つような危うい均衡の世界に、オーブは新たな船を出さなければならないのだ。その舵取りは容易なものではないだろう。 「カガリさんは…大丈夫でしょうか」 「彼女もまたSEEDを持つ者。例え躓いたとしても、新たな道を切り開くでしょう」 そうして生きてきたのだから。 盲目であるマルキオは目に景色を映すことはできない分、もっと遠く物事の先が見えているように思える。 彼の見ている世界が少しでも穏やかなものであればいい、とラクスはそっと瞳を伏せた。 「キラ、風邪ひくぞ」 「………………アスラン?」 帰ってたんだ、とキラはわずかに目を見開く。 最近はカガリと共に本島へ行っていることが多いアスラン。その彼が顔を見せたことに少なからず驚いたの だ。 「そろそろ夕食だ」 「………あぁ、うん」 いつの間にか日が沈み、辺りは暗くなっている。いつもこんな調子で、気付けば一日が終わっているような毎日。 そんなキラに、アスランは眉を寄せる。 一人だけが別の時間の流れを漂っているようで。 そう思うと、いま自分が下そうとしている決断は果たして正しいのかと不安になる。 「行こう、アスラン」 「あ、あぁ」 ゆっくりと立ち上がり、家へ入っていく親友の背中に小さく頭を振って迷いを打ち消す。 だからこそ自分は決めなければならないのだ。 深く傷つき、いまだに苦しむ友のために。 自分はいま出来ることをしなければ。 「遅いぞアスラン、キラ」 ちゃっかり食事の前に座っているカガリに、二人は苦笑いを浮かべて席に着いた。 「さぁ、それではみなさん」 「「「いただきまーす」」」 賑やかな声を合図に皆食事に手をつけはじめる。これだけ人数がいると本当に大騒ぎで、久しぶりに戻ってきたアスランとカガリは懐かしさと安堵を感じた。 いつも変わらないこの場所。 小さな、けれどもとても大切な幸せ。 やはりここを守りたい。 その思いが強まり、カガリの方へ視線を向けると、慈しむように子供たちを見守る彼女がいた。きっと自分と想いは同じなのだろう。 そう思うだけで、アスランの胸には熱が宿るのだった。 「キラ、ラクス。少しいいか?」 「どうしたの?」 不思議そうに首を傾げる自分の半身に、あのな…と少し言い辛そうにカガリが頬を掻く。落ち着かない彼女の様子に隣にいるアスランさえもハラハラしてしまい、そんな二人の姿にラクスがくすりと小さく笑んだ。 「とりあえず、お茶を入れますわね」 「あぁ、悪いラクス」 「手伝おうか?」 「大丈夫ですわ。ゆっくりしていてくださいな」 ティーポットと湯の準備をしているラクスを眺めていると、やっと意を決したのかカガリが勢い良く顔を上げた。 「あのなっ、キラ」 「何?」 「オーブの代表に就任しないかという話が私にきているんだ」 「………え」 まだ十代の少女に? 驚きで言葉を失いながらも、心のどこかではあぁやはりとも思う。 それほどにアスハという名は大きい。そしてヤキンでの彼女の功績も。 「私はそれを………受けようと思う」 「うん………」 「何が出来るのかなんて分からない。けど、何か出来るのならしたいんだ」 どこまでも真っ直ぐな自分の片割れ。 強い光を放つ瞳に、キラはすっと目を細めた。 「はい、紅茶です」 「ありがとう」 良い香りが鼻孔をくすぐる。まだ熱い紅茶を口につけるわけでもなく、何とはなしに見つめていると今度はアスランがぽつりと口を開いた。 「俺も、カガリについていくつもりだ」 「………アスラン?」 「いまの情勢の中、国の代表になるんだ。それがどれだけ大変な事かお前も分かるだろう」 「……そうだよね」 「だから、少しでもカガリの支えになりたいんだ」 そしてそれが一歩でも平和へ近付くための方法だと思う、と。 国や世界を愛し、守り抜こうと奔走する少女。彼女を守り支えることで、自分も世界のために何かできるのではないか。 それによって今ここにいるキラやラクスたちの穏やかな日々を、壊すことなく守ることに繋がるのではないか。 「ってことで、明日から私たちは本島の方に住むことになるから」 「まぁ、急ですのね」 驚いて瞬くラクスに、カガリは悪いなと黄金の瞳を伏せる。 責めるつもりのないラクスは首を振り、けれどもわずかに寂しそうに微笑んだ。 「子供たちも、寂しがりますわねきっと」 「だよなぁ、今度なんかお詫びしないと」 「ふふ、たまに戻ってきてくださいな。それで子供たちと遊んであげてください」 「あぁ」 にかっとカガリらしい笑みを見せる。ラクスがそれにふわりと笑んで、そんな二人の様子をアスランが見守るように眺めている。 温かいその場所が、なんだかとても遠く見えて。 会話に加わることもできず、またしようともしないまま、キラは紅茶を見つめていた。 皆が寝静まった頃、キラは眠りに落ちることができずベッドに腰掛けていた。 青白い月が部屋を明るく照らし、それに誘われるようにふらふらと部屋を出る。 裸足のまま外に出て、さくりさくりと砂を踏みしめる。 押しては返す波。 その音と自分の歩く音だけが、この静寂の中響く。 分かっていたはずだ。これで終わりではない事ぐらい。 むしろこれからの方が難しく、果てしない道のりであるはずなのに。 新しい道を探すためにまた進みはじめるアスランとカガリ。前を見つめる二人の姿は、清々しいほどに輝いていて眩しい。 それなのに自分はどうだろう? こうして夜の浜辺をあてもなく歩き、何をするでもなく時間を無駄にしている自分は。 まるで今この世界に一人で佇んでいるような錯覚を感じて、キラは煌々と光を放つ月を見上げた。 夜の帳に包まれて、いつも見えているはずの景色が見えない。 月明かりに覗くのは自分の姿と、瞬く星たち。 手をのばしても届かない。 どこへ行けばいいのか分からない。 ねぇ、きみたちには見えているのだろうか。 向かうべきその道のりが。のばして求める指先に触れるはずのものが。 見えていないのは僕だけ? かすかに感じる焦燥、そして孤独。 決して自分はひとりではないはずなのに、その想いはなかなか消えてくれそうになくて。 今日もまた眠れずに、母に怒られてしまうかもしれない。 そう思ったら小さく笑みを浮かべることができたのに。 なぜか目から涙が零れ、頬を濡らした。 NEXT⇒◆ |