+++ 萌 芽 +++


5.揺れる想い









やっと空が白んできた頃、そっとラクスは起き上がった。

無垢な顔で眠っている子供たちに笑みを浮かべ、起こさないようになるべくベッドを揺らさず立ち上がる。
明け方特有の肌寒さに、椅子にかけてあったカーディガンを羽織る。

音を立てないようにドアを開け廊下に出て、キラが眠っているはずの部屋の前に立った。

静かな様子にラクスはほっと息を漏らす。キラはちゃんと眠りに落ちているようだ。
安心して部屋の前から離れようとすると、室内からかすかに声が聞こえて動きを止める。

これは………。

聞こえてくるのは呻き声。
以前にも何度も聞いた、こちらの胸が張り裂けそうになる程の悲しみに満ちた声。


自分を拒絶するかのように目の前にあるドアに、ラクスはわずかに逡巡する。
しかしキラがひとりで苦しんでいる、と思うといてもたってもいられずドアノブに手をかける。
がちゃり、とドアを開くと入り口に背を向けるようにして愛しい少年が眠っていた。
背中を丸めて眠る姿は、何か痛みに必死に耐えているようで。


「キラ………」
「………う………っつ」


枕元から顔を覗き込む。
綺麗な眉毛は苦しげに歪められていて、肌もじっとりと汗をかいていた。
強く握り締められた手が、圧迫されて白くなっている。

痛々しいその光景に、ラクスの瞳が揺れる。
自分は何もできないのだろうか。

こうして苦しんでいるキラのために、何ができるのだろう。

柔らかな髪を繰り返し撫でる。そっともう片方の手をキラの手に重ねる。
自分よりも大きな手に、ラクスはふっと目を細めた。
当たり前のことなのだけれど、彼もちゃんと男性なのだと。
優しげな風貌と、穏やかな性格からあまりそうは感じさせないのだけれど。


幾分か穏やかになった寝顔に、ラクスは部屋を後にしたのであった。
















「あら、早いのねラクスさん」
「おはようございます」
「おはよう。朝ごはんは何にしようかしら」

エプロンを片手にカリダはキッチンに入っていく。
その背中を見送り、ラクスは水差しをとって外へ出た。朝日が昇る。
光り輝く海に、また新しい一日が始まるのだと感じさせられる。
清々しい空気を吸い込み、だいぶ蕾がふくらんできた花たちの方へ足を向けた。

もう少しで花が開きそうだ。
その日が楽しみで、思わずラクスは微笑む。

「ラクス、水やりですか」
「マルキオ様。おはようございます」
「今日は気持ちの良い気候ですね」
「はい、とても」

目が見えているのではないか、と思わせる程危なげのない足取り。
それはこの場所に住んでから長い時間を過ごしてきたからだろうか。

「子供たちも目を覚ましてきたようだ」
「ふふ」

家の中から賑やかな声が聞こえ始める。
そろそろカリダの手伝いをしなければ、とマルキオと共にラクスは室内へ戻った。
朝は本当にどたばたと大騒ぎだ。まずは子供たちに服を着替えさせ、顔を洗わせてから髪を整える。
素直に言うことを聞いてくれない子もいて、それがまた忙しさに拍車をかける。

この喧騒がラクスは好きだった。

無邪気に子供たちが走り回るのも、それをカリダやマルキオがたしなめる様子も。
こんな時間を過ごせている幸せを、心の底から感じるから。

けれども、いまは少し足りないものがある。

以前であれば子供たちに混じって賑やかな声を発していたカガリ。
それを呆れたように見やり、子供たちではなくカガリのお守りをしていたアスラン。


自分が向かうべき道を定め、旅立っていった二人はいまここにいない。

いつもと変わらない毎日のように思えても、やはりどこか寂しさは感じるもので。


それを自分よりも強く感じているのだろう、キラは。


まだ寝ているのか起きてこない少年に、ラクスは青い瞳を曇らせる。
また以前のように不安定な状態に戻ってしまったキラ。

ずっと傍で見守り続けてくれていた存在がいなくなってしまったのは、強い喪失感を抱かせたに違いない。
誰もその代わりになることはできない、それを知っているラクスは自分の無力さをひしひしと感じていた。













「ラクスさん、キラ。お客様よ」

お昼近くになって起きてきたキラとのんびり過ごしていたラクスは、お客というのに首を傾げた。
こんな俗世から離れた場所にひとが訪れるだろうか。マルキオにならともかく、自分とキラに?

不思議そうなのはキラも同じで、カリダに促されるままに外へ出る。

気持ちの良い海風が客人の髪を揺らしていた。
亜麻色の髪がふわりと揺れ、自分たちに気付いて彼女は振り返る。
別れてからまだそう時間はたっていないはずなのに、懐かしいその笑顔。

「マリューさん………」

包み込むような柔らかな表情で佇んでいるのは、アークエンジェルの艦長としてまた自分たちの保護者と
して、長い戦いを共に乗り越え支え続けてくれた人物マリュー・ラミアスそのひとだった。

「お久しぶりね、キラくんラクスさん」
「あ、はい」
「お久しぶりです。お元気そうで安心しましたわ」
「えぇ元気よ。ラクスさんたちはどう?」
「はい、毎日とても賑やかで」

くすくすと小さな笑い声が二人から漏れる。
予期していなかった来客に、いまだキラは混乱していた。

「あの……マリューさんはどうしてここに?」
「ちょっと挨拶にね」
「挨拶、ですか?」
「えぇ。私ね、モルゲンレーテで働くことにしたのよ」
「まあ」

キラだけでなくラクスも驚いたように目を瞠る。
その反応にマリューはふふと目を細めて笑った。

「いまアスハ家の別邸に住まわせてもらってるんだけど、何だか心苦しくって。だからお手伝いできることはないかしらと思ったのよ」
「そうでしたか」
「ちなみに偽名はマリア・ベルネスだからよろしくね」

いたずらっぽく笑う彼女に、つられてラクスも表情を弛める。
それとは別にキラは現実を目の当たりにした気持になった。

いま自分たちはここにいるには浮いた存在なのだという事を。

アスランが引っ越す前日に教えてくれたのだが、彼もカガリの護衛として働くためには偽名を使うことになっているらしい。アレックス・ディノだっただろうか。

ヤキン・ドゥーエでの戦いで、アークエンジェルやエターナルは英雄のような存在になっていた。
しかしいかに人々に賞賛されようとも、法に照らせば明らかに罰せられる立場である自分たち。
けれどもたくさんの好意で、いまこうして穏やかな生活を送ることができている。

自分の名前や存在を偽らなければならないのだとしても。

「キラ、外で立ち話も何だから入っていただきなさい」
「あ、うん」

室内からカリダの声が聞こえて、ずっと外にいたことを思い出した。
慌てて案内すると、気を遣わなくていいのにとマリューが苦笑する。

「キラ、手伝ってくれるー?」
「分かった」

ソファーに座ってもらってから、キラはキッチンに足を向ける。
マリューの穏やかな表情に、ひどく安堵している自分がいた。
あの戦いで愛するひとを喪った彼女。
悲しみが癒えたわけではないのだろう。
けれど力強く大地に足をつけて、真っ直ぐに生きているマリューの姿にキラはまた泣きそうになった。

本当はここまでくるのに、とても勇気が必要だったのではいないか。

自分たちと会えば否応なく呼び起こされるあの男の記憶。
悲嘆に暮れるその心に、それはとても残酷なことに思えた。
だから自分たちもあまりマリューとは連絡をとりあっていなかったのだ。

けれども彼女は自分からやって来てくれた。

新しく歩み出すのだと。

みんななんて強くて、そして素晴らしいひとたちなのだろう。
温まる胸に、キラは瞳を閉じた。













「そんな顔は似合わないわよ、ラクスさん」
「マリューさん………」
「といっても仕方ないわよね。キラくん、まだ辛そうね」
「はい……」

久しぶりに会った少年は、ひどく憔悴しているように見えた。
初めて出会ったときは、本当に普通の少年で。笑って泣いて怒って。年相応の表情を見せていたものだ。

けれどいまはどこか静謐な空気を纏って、儚げにさえ感じさせる。

いまにも消えてしまいそうな、不安定な姿にラクスが表情を曇らせるのも分かる気がした。

「大丈夫よきっと」
「マリューさん?」
「キラくんだもの。いままで何度も無理だと思ったことを乗り越えて、そして私たちに力を与えてくれたでしょ?」
「はい」
「それにキラくんの傍にはラクスさんがいるし、お母様も子供たちもいるわ。それがきっと力になると思うのよ」
「そうだといいのですが……」

たおやかな少女にマリューは優しく微笑む。

本当であれば、彼女も支えてもらいたいのだろうに。
傷ついたのは自分だけではない、ラクスもカガリやアスランだってどこか痛みを抱えて過ごしている。
それが戦争なのだろう。

失うばかりで、得るものなど何もない。虚しいもの。

ふと甦る愛しい面影に、胸が疼く。
涙流す夜もあって、隣に温もりがない事にひどく痛みを覚える日もある。

「キラくんなら大丈夫よ」
「………はい」
「彼を信じてあげて。私も頑張るから」

いつまでも涙に濡れていると、そんな顔するんじゃないのと彼に怒られそうだから。
飄々とした声が耳に聞こえてくる気がして、マリューは切なげに笑む。
その笑顔を見て、ラクスの瞳が揺れた。
励ますように頷くと、泣きそうな顔でけれどもちゃんと笑みを見せてくれる。

少女の心の強さを感じて、マリューは安心した。

きっと彼らなら乗り越えられる、そう思えた。

「はい、お茶が入りましたよー」
「すみません、お手伝いもせずに」
「いいえ。せっかく来ていただいたんですもの、ゆっくりして下さいね」
「母さん、これここに置けばいいの?」
「ありがとう、そこでいいわ」

キラとカリダのやり取りに、マリューとラクスは自然と笑みを深くする。
何気ない親子の会話。それがとても温かく見えて。





こうして少しずつ、歩み寄っていければいい。

いまは難しくても、いつかきっと。

そうして自分たちは歩いてきたのだから。そして歩いていくのだから。


いまはまだ蕾でも、花開くその日を信じて。

ただ見守っていよう。

彼らなら辿り着くのだろうから。










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