+++ 萌 芽 +++
6.歪な輝き 静かに、熱く、ゆっくりと広がるもの。 呼び覚まされたこの感覚。 湧き起こるのは、小さな力。 「キラ、今日ねお父さんが来るって」 「………………え?」 朝のんびりと居間にやって来たキラは、寝起きで寝ぼけているからなのか聞いていなかったのか、耳から入った言葉が理解できなかったらしく目を瞬く。 そんな息子に朝食のパンを出してやりながらカリダが繰り返す。 「お父さんがね、やっと仕事が一段落したからって。夕方にはここに来るって言ってたわ」 「………父さんが」 トーストに合わせて牛乳がテーブルに並べられる。 白い液体が光を反射して、キラはすっと目を細めた。 「久しぶりだものね、きっとあなたの様子を見たら安心するわ」 「………うん」 戦後、カリダは自分のためにマルキオの伝道所があるこの小島に駆けつけてくれている。しかし父であるハルマは仕事を放り出すわけにもいかず、本島に残っていた。 久しぶりに夫に会えるということで、カリダはいつもよりご機嫌である。反してキラは、複雑な表情で俯いた。 本当に父は、自分を見て安心するのだろうか? 思えば自分と父はあまり深いことを話し合ったことがなかったように思う。ハルマは仕事で忙しかったし、自分もゼミや仲間たちと遊ぶことで忙しかった。 まさかあんなにも突然に、あんなにも簡単に日常が崩れるなんて、思いもしなかったのだから。 父の顔を見たいという気持ちと、会いたくないという気持ちの間でキラは揺れる。 とても美味しそうなトーストなのに、味がしなかった。 「見てくださいな、キラ」 「わあ、たくさん取れたね」 「はい」 畑から戻ったラクスは輝く笑顔で、籠に詰まったたくさんのトマトを見せてくれた。子供たちと一緒に育てた野菜が、やっと収穫の時期を迎えたのだ。 「これ洗うんでしょ?手伝うよ」 「ありがとうございます」 台所に入って流しに二人で並ぶ。 冷たい水が気持ち良い。じゃぶじゃぶと水音を聞きながら作業を続けていると、ラクスが思い出したように口を開いた。 「そういえば今日はお父様がいらっしゃるそうですわね」 「あぁ、うん」 「じゃあ今日はトマト料理ですわね。何にしましょうか」 「……ラクスが作ったのなら、なんでも美味しいから父さん喜ぶと思うよ」 嬉しそうにありがとうございます、とはにかむラクスにキラもわずかに笑みを返す。 「キラのお父様なら、お優しい方なのでしょうね」 「どうだろう………自分じゃよく分からないや」 「ふふ、そういうものかもしれませんわね」 でも確かに父が声を荒げている場面なんて、ほとんど見た記憶がない。その分、怒らせるととても恐かった。 「ラクスのお父さんも、優しいひとだったよね」 「はい」 プラントで身体の傷を癒している間に何度か会った。 穏やかな表情に疲れを滲ませていたのは、あの戦時下の中で世界を憂いていたためなのだろう。 「母が早くに亡くなって、父と私だけでしたから。とてもよくしてくださいました」 「………そっか。素敵なお父さんだね」 「はい」 そう語るラクスの瞳に曇りはない。志し半ばでシーゲル・クラインが命を落とした時も、彼女は透き通った涙を見せたのを今でも覚えている。 「キラのご両親も素敵な方達ですわ」 「え?」 「こうしてキラを育ててくださったのですもの。愛してくださったのですから」 「………………うん」 自分が本当の子供でもないのに、愛情を惜しみなく注いでくれた両親。 けれどやはり心の奥底に潜む引け目は消えない。本当に自分が彼らの子供でいいのだろうか、と。 「まぁ、くすくす」 「?」 「見てくださいな、キラ」 「あ………すごいね、これ」 楽しそうにラクスが差し出したのは、いびつな形をしたトマトだった。いやこうなってしまうと、トマトなのかどうかさえ危うい。同じなのは赤いというだけだ。 「自然の中で作ったものですもの、こういうものもありますわ」 「うん、でもこれはちょっと………」 「あら、そうですか?」 そう言ってからラクスがいたずらっぽく笑む。その意味が分からず、キラは首を傾げた。するとそのトマトらしき物体に桜色の唇を寄せて、がぶりとかじりついた。 歌姫がトマトの丸かじりなんて、とっても大胆な光景である。 「美味しいですわ」 「そう?」 「はい。一生懸命、愛情をこめて育てたものですから。どんな形であれ、素敵なものに変わりはありませんわ」 「………………そっか」 「キラも、いかがですか?」 にこりと笑って差し出されたそれを、キラは受け取る。 え、これって間接キスになっちゃうんじゃ……と慌てても、ラクスはトマト洗いを再開してしまっていた。せっかくのトマトを無駄にするわけにもいかず、キラはそっと口をつける。 「ん………」 「どうですか、キラ」 「美味しい……」 そう言うと、そうですかと嬉しそうな笑顔が返ってきた。 ひんやりと冷えたトマトはとても瑞々しい味がして、キラはそこに懸命に生きる命を感じた。 「キラ、お父さんを迎えに出ましょうか」 「うん……」 夕方になり、カリダにそう言われてキラは外に出た。 ヘリポートに丁度ヘリが停まっており、その中からひとりの男性が降り立つのが見える。父だ、と遠くからでも分かった。 「あなた」 「あぁ、すまない。来るのがとても遅くなってしまった」 「待ちくたびれちゃったわ、ねえキラ?」 振り返る母にキラは戸惑う。そんな自分に気付いてハルマは、柔らかく目を細めて微笑んだ。その笑顔がとても懐かしい、と感じて不思議に思う。 「大きくなったな、キラ」 「そう、かな」 「あぁ」 「あっという間にあなたも追い越されるわね」 「そうだな」 くしゃっと髪を撫でられ、キラは瞳を揺らす。この力強い声も大きな手も変わらない。 少し疲れたような翳った表情は、父の心労を感じさせキラは胸が痛んだ。しかしハルマは以前と変わらない優しい笑みを浮かべて口を開く。 「そばにいてやれなくて、すまなかったな」 「え………」 「お前を守ってやれなくて、悪かった」 「と、さん……」 どうして父が謝るのか?そう思うが言葉にならない。 戸惑う自分に気付いたのか、ハルマは困ったような泣きそうな顔でもう一度頭を撫でてくれた。 「生き抜いてくれて、ありがとう」 「!」 「お前がここにいて、元気に過ごしているだけでも…私は嬉しい」 そこにいるのは、父親だった。 血の繋がりなんて関係ない。自分が許されない存在なのだとしても、いま目の前に立つハルマには関係のないことなのだろう。彼にとって自分は息子なのだから。 「いい、の……?こんな僕でも」 「何を言ってるんだ。お前は、私たちの自慢の息子だよ」 「えぇ」 「父さん……母さん……」 だからこんな所まで来てくれたの? 仕事だって本当はまだまだ忙しいのだろうに、顔をやつれさせてまで駆けつけてくれたの? 「よく頑張ったな、キラ」 「うん……」 父の声が胸に染み渡っていく。 自分は彼らの息子でいても、いいのだろうか。 一生懸命、愛情をこめて育てたものですから どんな形であれ 素敵なものに変わりはありませんわ そう言って躊躇いなく不細工なトマトを美味しい、と言って笑ったラクス。 彼女の言った通りだ。 自分は両親に愛されて育った。いまこうしてここに立っていられるのも、彼らのおかげだ。どんな出生の秘密があろうと、業を背負っていようと。きっと彼らは自分の帰るべき場所であり続けてくれるのだろう。 なら自分も、例え不恰好な形になってしまったとしても、美味しいと言ってもらえるような。一生懸命にやったのだと言えるような、そんな道を歩もう。 「キラ、お前はお前の信じる道を行きなさい」 「父さん……」 「そして疲れたなら、私たちのところへ戻ってくればいいさ」 同じ男として、自分を守り続けてくれた父親という存在。 その大きさを改めて感じて、自分はいかに幸せだったのかと思う。 「うん………ありがとう、父さん」 やっと笑顔で顔を見ることができた。 そんなキラに、ハルマは満足そうに頷く。いつまでも外にいるわけにはいかない、とカリダが家へと案内する。背中を押してくれる父の手が、とても暖かいと顔を綻ばせた。 「そうだ。今日の夕飯はラクスが作ってくれたんだよ」 「ラクスさんか。可愛いお嬢さんなんだってな?」 「えぇ、キラにはもったいないくらい」 「べ、別にそんなんじゃないよっ!」 「ははっ、それは楽しみだ」 「だからっ」 久しぶりに交わされる家族の会話に、とても胸が熱くなる。 あぁ、なんだかまたあの不細工なトマトが食べたくなってきた。 そしてラクスの笑顔に、早く会いたくなった。 何かが静かにゆっくりと、けれど確実に生まれていく気がした。 NEXT⇒◆ |