+++ 萌 芽 +++


7.優しさの雨







この雨のように、彼女の言葉は静かに降り注ぐ。


























「キラー!!」
「うぐっ………」
「たいくつだよぉー、いっしょに遊ぼー」
「ヒマヒマー!!」
「み…んな…苦し……」

ベッドでうつらうつらと心地良い時間を過ごしていたキラは、自分の腹に思い切り体重を落としてくれた子供たちに声を絞り出す。しかし子供たちの方は自分のお願いを聞いてもらおうと必死なため、苦しんでいるキラに気付かない。

このままでは圧迫死してしまう、と命の危機を感じていると華やかな声が室内に滑り込んできた。

「まぁ、そのままではキラが身動きできませんわ皆さん」
「ラクス……」
「お願いがあるのでしたら、ちゃんとお願い致しましょう?」
「「はーい」」
「わかったー」

気持の良い返事をして、子供たちがわらわらとベッドから降りる。やっと軽くなった身体に、キラは酸素を吸収しようと深呼吸を繰り返す。やっと自分が落ち着いたのを見計らって、ラクスがベッドに歩み寄ってきた。

「起こしてしまって、すみませんキラ」
「ううん。もうけっこう遅いんじゃない?」
「もうすぐお昼だよキラー」
「寝坊だよー」

さすがにそこまで遅いとは思わず、キラはわずかに目を瞠った。
どうして起きられなかったんだろう、と外に視線を向けて納得する。

「………今日、雨なんだ」
「えぇ」

雨の日はどうしても眠りが深くなってしまうのだ。しとしとと雨音が心地良いのか、外があまり明るくならないせいなのかは分からない。

「だからヒマなのー」
「遊んでよ、キラー」
「そっか、それで……」

雨で外に遊びに行けないというのは、確かに子供たちにとっては辛いものかもしれない。皆、退屈という文字が顔にデカデカと書かれている。

「分かった、とりあえずリビングに行こうか」
「ほら皆さん、先に行ってましょう。キラは着替えてからいらしてくださいな」
「うん、ありがとう」

賑やかな声と共に小さな台風が部屋から出て行く。
これは今日は大変だな、とわずかに苦笑してキラは着替えるために立ち上がった。クローゼットに近付いてから、ふと窓の外へ目をやる。
もうカーテンが開いているということは、ラクスかカリダが一度はこの部屋にやって来たのだろう。それにすら気付かない程、自分は深い眠りに落ちていたらしい。

シャワーのように降り注ぐ雨が、景色に透明のベールを落としていく。

熱帯特有の華やかな風景も、今日ばかりはとても静かに見えて雨って不思議だなと思った。

「キラー、まだー?」
「あ、ごめんっ」

痺れを切らした子供たちの声がして、慌ててキラは寝間着を脱ぎにかかったのであった。












「おは……………よ、う」
「おはようございます、キラ」
「もう、キラ。ダメじゃない、寝坊なんてしちゃ」

あまり本気で怒っているわけではないようだが、母親らしくカリダが小言を口にする。子供たちの手前というのもあるのだろう。それにごめん、と呟いてキラは辺りの惨状に目を向ける。

そんな様子に気付いたのだろう、カリダが諦めたような笑みを浮かべた。

「今日はさすがに外に出してあげられないから、家の中で遊んでもらってるのよ。子供たちって本当に元気よね」
「あはは……すごいね」

辺りには玩具やら画用紙やクレヨン、粘土や折り紙など様々な遊び尽くした残骸が広がっている。これを片付けるのは骨が折れそうだ、と後のことを考えてキラは気が遠くなった。
しかしラクスだけは楽しそうに子供たちの中に入って、いまも粘土をこねたりして遊んでいる。

あれはたぶんハロだろう。

「さ、これからあなたには働いてもらわないとだから。しっかりご飯食べるのよ」
「うん……頑張るよ」

早くもげっそりしながらテーブルに着くが、そこからがまた戦いだった。
すでに退屈している子供たちは、キラが食事中であろうともお構いなしに、色々と悪戯をしかけてくるのである。おかげでパンを口に運ぶだけでも多大な神経を使った。

牛乳も何度噴出しそうになったことか………。

やっと食事を終えた頃には、キラは脱力して机に突っ伏していた。

「キラ、ご飯食べ終わった?」
「もう遊べる?」
「キラ食べるの遅い!」
「なに眠ってるのー、遊ぼうよー」


いったい誰のせいだと………………。


「皆さん、一度にたくさん話しては分かりませんわ。ひとりずつ、ね?」
「「「はーい」」」

子供に向けて黒い何かを放出しそうになったキラは、ラクスの柔らかい声に何とか自分を取り戻した。気持を切り替えて、子供たちと遊ぶためにとりあえず立ち上がる。

「じゃあ何して遊ぼうか」
「えっとね」
「お馬さんごっこ!」
「それじゃひとりしか遊べないじゃんー」
「じゃあ、おままごとは?」
「おれたちつまんないもん」

なかなかまとまらない様子に、やれやれと苦笑をもらしてキラは子供たちの輪に加わったのであった。















「くす、気持良さそうに寝てる」
「そうですわね」
「ふう」
「お疲れ様でした、キラ」
「うん、たまにはね。いつもラクスや母さんに任せきりだったし」
「子供たちも嬉しかったみたいですわ」

散々遊んで疲れたのか、眠ってしまった子供たちを部屋に運びキラとラクスはリビングに戻る。戦場の跡を見て、これをいまから片付けるのか……と疲れた身体に鞭打った。
ゴミとまだ使えそうなものを分別しながら、他愛ないことをラクスと語らう。

そういえば自分はあまり子供たちと関わっていなかった、と今更ながらに思って。

そんなことにも気付かなかった自分がいたのだと。

「本当に子供って元気だね」
「ふふ、そうですわね」
「何だかこっちの力まで吸い取られそう………」

肩を落として呟くと、あらあらと楽しそうにラクスが微笑む。

「あ、キラ悪いんだけど。ちょっと荷物の受け取り頼まれてくれないかしら?」
「僕?」
「私は子供たちを見てないとだし、雨の中ラクスさんに行かせるわけにはいかないでしょ」
「あぁ、うん」

それは確かに、と納得してキラは了承した。
本土から隔絶されたこの島は、定期的に必要物を揃えた物資が届くのである。結構な力仕事なのに、いつもラクスやカリダが子供の訓練のため、と言って子供たちに手伝わせていたためキラは出番がなかった。今日は出番の多い日だな、と苦笑して出かける準備を整える。
するとピンクの髪を揺らしてラクスが傍に歩み寄って来た。

「私も参りますわ、キラ」
「え、でも」
「雨なら、ほら」
「?」

楽しげな声に外を見ると、いつの間にか雨は上がっていたらしいことに気付く。
だから大丈夫ですわと微笑みを向けられ、反論の言葉も理由もないためキラは頷いた。

「じゃあ母さん、いってきます」
「いってらっしゃい。気を付けてね」















「それじゃ、荷物はこれになります」
「ありがとうございます。ご苦労様でした」

荷物の配達を終えて帰っていく業者を見送り、さてどうしたものかと思う。子供たちの人数が多いのだから当然だが、荷物は結構な量があった。

「じゃあ重そうなのから運んじゃおうか」
「そうですわね」
「僕がこっち持つから」
「ふたつも大丈夫ですか?」
「うん。ラクスは無理しないで、ひとつずつね」
「はい」

ヘリポートから家まではそれ程遠くない。
何度か往復して、これで最後の荷物だと小さい小包を手にとる。

「あら?」
「え?………うわ」
「まあ、スコールでしょうか」
「そんなことより、風邪ひいちゃうよ。ラクスこっちに!」

慌ててラクスの白い手を取って走り出す。
引っ張られるようにして付いてくるラクスは、雨に濡れながらもどこか楽しそうで。手近な木の下に逃げ込んでからも、息を整えながら笑う彼女にキラも自然と顔を綻ばせた。

こんなふうに雨に濡れて笑うなんて、小さい頃以来かもしれない。

「大丈夫?けっこう濡れちゃったね」
「えぇ。荷物は無事ですわ」
「いや、そっちを聞いたんじゃないんだけど……」
「?」

きょとんと大きな目を瞬かせる彼女を前にして、キラはそれ以上の追求を避けた。
というより、濡れたラクスを直視することの方に耐えられなかったというのが正しい。

水の滴る桃色の髪が透き通った肌に貼りつき、走って紅潮した頬がなんとも艶かしいのだ。

雨に濡れないようにと抱き締めているせいもあるが、彼女のファンが見たら倒れそうな姿を間近で見てしまったキラは、早まる鼓動により抱き締める力を強めてしまう。顔をあまり見られないで済むようにと。

「雨って不思議………」

耳元で涼やかなラクスの声が聞こえる。
鈴のような心地良い音色に、キラは瞳を閉じてそうだねと頷いた。それは自分も今朝思ったことだったから。

こうして雨の中にふたりでいると、他の全てから遠い場所にいるようで。
聞こえてくるのは雨音だけ。いつも見える景色も、雨がつくりだすヴェールのせいで霞んで見える。

「地球ってすごいですわね」
「うん?」
「プラントでは予想できない雨というのはありませんでしたもの。雨の時間というのが決まっていて、いつもその通りに降っていましたから」
「あぁ……そっか」

プラントは人工の雨を定期的に降らせる。宇宙空間に漂う人工の星なのだから、それは当然のことだ。
自分もクライン邸にお世話になっているときに、何度か雨の時間だと聞いたことがある。

「じゃあ傘がなくて大騒ぎ、ってこともないんだろうね」
「そうですわね。予報を見ていなかった、という場合はありますけれど」
「僕ならありそう……」
「くすくす」

それできっとアスランとかに、仕方ないやつだなとか溜め息を吐かれるのだ。
月にいたとき実際に何度かあった光景でもある。

「ですが、こうして本当の自然は私たちには予測できないものなのですね」
「うん、そうだね」
「それが恐いときもありますけれど、予想外のことが起こるというのはとても楽しいですわ」
「そう?」

こんなふうに濡れ鼠になっちゃっても?と首を傾げると、ふわりと青い瞳を細めてラクスが手をのばしてくる。小さな手が自分の額にかかる前髪に触れて、貼りついてしまった髪をどけてくれた。そんな何気ない仕草にどきりとする。

そしてさらに深く笑みを浮かべて、慈しむように形の良い唇を開いた。

「こうしてキラと雨宿り、なんてことができるのも。予測のできない自然のおかげでしょう?」
「………………ラ、ラクス」
「はい?」
「う、ううん。な、何でもない」
「そうですか?」

頼むからこれ以上動揺させるようなことは言わないでくれ、とラクスの肩に顔をうずめる。濡れた髪を押し付ける形になってしまって、しまったと頭を上げようとすると優しく彼女の手が髪を撫でているのに気付いて動きを止めた。

しまった………事態はより混迷を極めている。

「この雨が、たくさんの命を育んでいくのですね」
「うん………」

木々も果物や花や、動物や虫たち。もちろん自分たち人間だって。
水がなければ、こうして雨が大地を潤してくれなければ生きていくことは難しい。

全てを癒し、育むもの。

「ラクスに………似てるな」
「え?」
「あ、雨あがったみたいだよ」

やっぱりスコールだったんだね、と笑って誤魔化すとラクスもそうですわね、と深くは追求せずに微笑んでくれた。じゃあ帰ろうか、と手をのばすと自然と彼女も繋いで歩き出す。






いまこの手にある温もりが。


傍で同じ足跡を残してくれる存在が。


そしてその微笑みが。


降り注ぐ雨のように、彼女の声は優しく自分の心に染み渡る。


水が大地を満たし、新たな生命を芽吹かせるというのなら。


自分もいつか新たな何かを抱くことができるのだろうか。


そうであればいい、と雨上がりの景色にふと思った。









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