+++ 萌 芽 +++
8.来たる日のために 戦うことを厭いながら、その手に剣を取る。 それは長い長い歴史の中で繰り返されてきた矛盾。 愛する者を守りたい、愛するこの世界を守りたい。 願いはただそれだけだったはずなのに。 テレビのアナウンサーが誰もが待ち侘びていたニュースを発信する。長い戦いが終わり、新たな時代への幕開けとなるべき歴史的な瞬間。それらを静かな目で見守っている少女がいた。 本日 三月十日 ユニウス・セブン跡上空において 地球連合とプラント臨時評議会間において停戦条約が締結されました 今回の条約において核エンジンおよび ニュートロンジャマ―・キャンセラーの使用禁止 コロイド技術の軍事利用の禁止 MS保有数の制限などが条約に盛り込まれることが決定いたしました 無機質な原稿を読んでいるだけの青年にも、気分を害した様子もなくただじっと画面を見つめている。こういったニュースに関心を払うような年齢ではないはずだが、彼女はそれを聞かずにはいられない。これからの世界の行く末が大きく関わってくるからだ。 そしてその結果 アイリーン・カナーバらプラント臨時評議会は 総辞職の意を明らかにました そこまで情報を聞いてから、ゆっくりと繋いだままの通信機に身体を向ける。それに気付いて、画面の向こうで同じようにニュースを見ていた男が、おどけたような調子で肩をすくめた。 <とりあえずは、一段落といったところかねえ> 「そうですわね」 相変わらずの飄々とした声に、桃色の髪を揺らしてラクスは小さく微笑んだ。 ほんの少しの憂いを滲ませる笑顔に、お気に入りのコーヒーカップを傾けて男が口を開く。 <これが、どこまで保つか> 「このまま……平和になればいいのですが」 <僕もその意見には大賛成だけどね。今回の条約は問題が多すぎる> 「はい。プラントも地球連合も、双方にとって不満の残るものだとお聞きしています」 <まあ、元から平行線だった連中だ。今更どこうなるとも思えんが> だからこそ、あそこまで大きな争いを生んでしまったのだ。 思い出すだけで自然と表情が曇る。目の前でいとも簡単に散っていく命。数え切れない命が、自分の願いのためにその途中で果てた。父もそのひとりだ。 「もう、ああいったことは……」 <あぁ> 二度と起きてほしくはないし、起きてはならないと思う。知らないうちに握る拳に力が入り、わずかに爪の跡が残ってしまった。 大切な少年の、傷ついた姿を思うと胸が痛いのだ。 あの戦いが彼に残した深い傷は、いまでも癒えることはなく。思い出したように血が噴き出しているように思える。 そんなラクスの物思いを打ち破るように、バルトフェルドが重い口を開いた。 <だが、もしものときのために。準備をしておかなければなるまい> 「はい……」 <エターナルは安全な場所に隠した。補修もほとんど終わっているが、そっちの方はどうなってる?> 軍人らしいきびきびとした言い方に、ラクスもすっと居住まいを正して表情を改める。自分の感情に揺られているだけでは、正しい判断をくだすことができない。青い瞳に光を灯して、画面のむこうにいる虎にラクスは凛とした声を響かせた。 「モルゲンレーテの力をお借りして、アークエンジェルの方はほとんど補修が済んでいますわ。あと色々と新しいシステムを搭載する予定だとか」 <ほう、それは頼もしいねえ> 「フリーダムの方は……」 ここにはいないはずなのに、つい大丈夫だろうかと辺りを見回す。 あの少年に聞かせたい話ではなかった。 「まだもう少し時間がかかりそうですが、なんとか大丈夫だと」 <ほとんどエンジン部分しか残ってなかったのに、さすがだ> 「………アスハ家の、別邸の地下シェルターに格納される予定だそうです」 <それがいいだろう。核エンジンを使ったMSが、万が一モルゲンレーテで見つかったら面倒だ> オーブの中とて、決して平和なわけではないのだ。大きな柱であるウズミを失ったいま、体制は揺らいで様々な新興勢力が出てきている。それらがどんなふうに行動を起こすのか、現段階では見えない。警戒するに越した事はないだろう。 <もう少ししたら、僕もそちらへ行くよ。詳しいことは、そのときに> 「はい、お待ちしておりますわ」 お互いに挨拶を交わして通信を切る。 そしてまた部屋にはニュースの音だけが響く。 いまはどうやら天気予報にうつったらしく、各地の地図が画面に映し出されている。 エターナル、アークエンジェル、フリーダム。 そのどれも戦うための兵器であり、ひとを殺すための武器だ。 「やはり……矛盾していますわね」 平和な世界を願っている。もう争いたくないと、心が悲鳴を上げているのに。 それなのにこうして戦いに備えて、準備を整えている自分たち。 もう彼に傷ついてほしくないと願いながらも、彼のための剣を用意している自分。 だがこの世界の情勢を考えれば、不安定な条約の先にあるのは崩壊なだけな気がするのだ。そしてそれは砂漠の虎と呼ばれた、あの男も同じ考えなのだろう。自分よりも先に様々な手を打ってくれているのだから。 「キラ……」 「何?」 「!」 いきなり聞こえたアルトの声に、ラクスは驚いて振り返る。 呼ばれたから返事をしただけなのだろう、ほっそりとした身体にたくさんの子供たちを抱えて立つキラがいた。どうやら一緒に遊んで帰ってきたところらしい。 「まあ、皆さん楽しそうですわね」 「ラクスも遊ぼうよー」 「ふふ、そうですわね。ご一緒しましょうか」 「やった!」 「お歌が聞きたい!」 「あたしもー!」 子供たちを心配させないように、柔らかく微笑むと皆で歌が聞きたいとせがんでくる。 キラも聞きたいな、と褐色の髪を揺らし笑みを見せてくれたため、頷いて腰かける。その周りに我先にと子供たちが集まってくる。 ゆっくりと音を紡ぎ出しながら、旋律に願いをこめて。 どうか世界が穏やかなものでありますように。 自分の大切なひとたちが、幸せでありますように。 いまよぎる不安が、杞憂でありますように。 子供たちが、自分が、そして誰よりも愛しい彼が。 笑っていられる世界でありますように。 そう願いながらも、どこかで燻る不安が確信に近いものへと変わっていくのにラクスは気付く。それでもいまこのときだけは、ただ笑っていよう。この瞬間、彼らと過ごす穏やかな時間は本物なのだから。 そしてその幸せな時間を誰もが手に入れられる世界を。 輝く未来を選び取るために。 それが閉ざされる日がもし来たのなら、それを振り払うための力を。 自分は彼のために授けよう。 たくさんの矛盾を抱えながら。痛みも傷も涙さえも、全てを包み込んで。 いつか来たる日のために。 NEXT⇒◆ |